君はバブルを見たか(十字路)
株価の上昇が続くと「バブルではないか」と構えてしまう人がいる。日経平均株価が最高値をつけた1989年の株式相場を見た者として、苦笑を禁じ得ない。「バブル」が発生している株式相場は、今のような生易しいものではないからだ。
手元に89年12月30日の日経新聞朝刊がある。証券1面に掲載された東京証券取引所1部市場全銘柄の株価収益率(PER)は61倍、同じく株価純資産倍率(PBR)は5.6倍である。当時は単体ベース、現在は連結ベースという差を割り引いて考えても、バリュエーションの高さは尋常ではない。
もっと異常だったのは、株の買われ方だ。バブル期には東京・兜町の本屋で東京湾岸の地図が飛ぶように売れた。国際都市トーキョーの拡大に伴い開発が見こめる場所に不動産を持つ企業の株を、根こそぎ買うためのガイドとして使うためだ。
不動産の簿価と時価の差である含み益が超割高の株価形成を正当化し「Qレシオ」理論も広く唱えられた。さらに、不動産の将来の値上がり分を一株純資産(BPS)に反映させる「フューチャーバリュー(FV)―BPS」なる投資尺度をひねり出す大手の証券会社もあった。
企業決算は半年に一度が常識で、「資本コスト」や「自己資本利益率(ROE)」に本気で向き合う企業は一握り。投資家向け広報(IR)も未発達だった。
そもそも、不特定多数の投資家を相手にするIRは必要なかった。発行済み株式の多くをグループ内で相互保有していたため、市場で自由に売買される株式は全体の3割程度だったからだ。
列挙すれば、本当にきりがない。あのデタラメな時代の株式相場こそが「バブル」だった。上げ相場の過熱感や、バリュエーションから見た割高感をバブルと同一視するのは、ちょっとナイーブすぎるのではないか。
(龍雅)