拓銀破綻、経済危機の発端に 内藤純一元大蔵省銀行課長
未完の金融改革 歴史の証言者たち(3)
[有料会員限定]
――拓銀破綻の予兆をいつ把握しましたか。
「1996年7月に銀行課長に就いたが、注意を要する銀行と認識していた。大きな変化は翌97年に資金繰りが厳しくなったことだ。3月に当時の河谷禎昌頭取から北海道銀行と合併できそうだという話を聞き、願ったりかなったりで全面的に支援しますと答えた記憶がある」
――見通しが甘かったという認識は。
「両行は不良債権の認識を巡り、当初からズレがあった。それでも何とか進め...
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。
残り734文字
関連企業・業界
業界: