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地道な壁打ち続け開花 バドミントン・佐藤冴香(中)

2017/11/5 6:30
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 2012年ロンドン五輪で大けがをしながら、なぜ試合を続けたのか。佐藤冴香は言う。「4年間努力してやっと取れた五輪の切符。たくさんの人に応援してもらってきたのに、(ケガをしても)自分でやめるなんて考えられなかった」

 宮城県仙台市で生まれ、育った。11年3月11日の東日本大震災の時は英国に遠征中。家族の無事は確認できたが、試合や練習で故郷にはしばらく帰れなかった。「自分にできることは限られる。頑張って良いニュースをみんなに届けたい、という気持ちもありました」と打ち明ける。

日本女子には抜群の集中力を持つ奥原と、ほとんど心の揺れを見せない山口というライバルがいる

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 バドミントンを始めたのは小学3年の時。義理の伯父の木戸純一(67)が、後に進学する常盤木学園でバドミントン部の顧問をしていたこともあり、幼なじみの木戸の長男と一緒にクラブに通うようになった。

 子供のころから背が高く、市の子供マラソン大会ではいつも先頭を走るほど体力もあった。ただ、当時から練習を見ている木戸によると「パワーは抜群でも、不器用な子でした」。

 スマッシュは力強くてスピードがあったが、細かな技術は苦手。中学までは目立った成績はない。

 別の事情もあった。仙台市にはバドミントンのジュニアの有望選手が全国から集まる聖ウルスラ学院英智がある。佐藤と同学年には後に16年リオデジャネイロ五輪女子ダブルスで金メダルを獲得する高橋礼華(日本ユニシス)がいた。「大会で勝ち上がると上位はみんな聖ウルスラ勢。なんでみんな宮城にくるのと思っていた」と佐藤は振り返る。

 奈良県出身の高橋は中学から、1学年下で高橋とペアを組む徳島県出身の松友美佐紀(日本ユニシス)は、中学日本一になった後、高校は聖ウルスラに進んだ。彼女たちに勝つことは、全国でも勝てることを意味していた。

 それが現実的な目標となったのは、常盤木学園に進んでからだった。木戸の指示で県内の男子の強豪校や社会人チームの練習に定期的に参加した。さらに効果があったのは「壁打ち」だったという。

 壁から2メートルほどの距離からシャトル2つをオーバーハンドで連続して打ち続ける。手首の返しを速くして、小さな振り幅で強いスマッシュを打てるようにする狙いがあった。

 最初はゆっくり数回しかできなかったが、毎日根気よく練習するうち、高速で100回以上続けられるようになったという。「不器用でも負けず嫌いで真面目にコツコツ続ける性格が成長につながった」と木戸。

 高校2年の時、シングルスで初めて県で勝った。ライバルたちとの戦いの舞台は全国に移る。3年のインターハイは決勝で松友に敗れて日本一を逃したが、その後の世界ジュニアで準優勝。高校生で日本代表にも抜てきされた。

 その4年後、日本女子でただ1人のシングルス代表としてロンドン五輪の舞台に立っていた。そこでの大けがは、競技生活で初めて経験する挫折だった。

(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊10月31日掲載〕

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