2017年11月24日(金)

平成の30年 陶酔のさきに  第1部

フォローする

Myニュース

有料会員の方のみご利用になれます。
気になる連載・コラムをフォローすれば、
「Myニュース」でまとめよみができます。

プリプリと共振 高揚の陰に危機の芽

平成の30年
2017/10/28 7:00
保存
共有
印刷
その他

 あざやかに場面は変わった。昭和最後の64年は1週間で終わり、前年秋からの自粛ムードも消えて世はバブルの絶頂へ向かう。光が降りそそぐような気分。ユーフォリア(多幸感)。しかしあのころ、日本社会の危機はゆっくりと育っていた。

■最初の歌詞にはもっと激しい言葉が

 平成時代が幕を開けた1989年の春は、どこへ行っても「Diamonds」が響いていた。ガールズロックバンド「プリンセスプリンセス」の大ヒット曲だ。

 

 冷たい泉に 素足をひたして

 見上げるスカイスクレイパー

 好きな服を着てるだけ

 悪いことしてないよ

 

 もともとはアイドルグループとして売り出された5人組だった。ところがメンバーは大人たちの思惑を尻目に自ら曲を作り、詞を書き、ステージを自在に演出していく。

 「Diamonds」の作曲はボーカルの岸谷(旧姓・奥居)香さん。詞はギターの中山加奈子さんが書いた。「曲を聴いて浮かんだイメージを、そのまま詞にしてみたんです。ヤンチャでしたよね」と中山さん。52歳のいまもミュージシャンとして活動している。

 詞にまつわるエピソードを、中山さんが打ち明けてくれた。ノート1冊分、あれこれつづるなかで最初はもっと激しい言葉を連ねていたという。「毎朝8時の灰色の群れが あたしのこと嫌ってる」――。

 ラッシュアワーの電車。灰色のスーツに身を包んだオヤジたちが「場違い」な服装の女性に不快な視線を送る。そんな目をはね返して「好きな服を着てるだけ 悪いことしてないよ」と胸を張り、自分を鼓舞するのがこの歌なのだ。

 折しもこの年の6月、昭和を体現した歌手の美空ひばりが逝く。しんみりした、ひばり追悼ムードを打ち破るような「Diamonds」の躍動感。主役交代が印象的だった。メンバーはヒット記念に本物のダイヤモンドを、所属事務所とレコード会社からそれぞれ贈られた。

 「世の中の上り調子と、わたしたちの気分がぴったり合っていたんですね」と中山さんは言う。バブルは刹那の夢ではあったが、人々に解放感を与えもした。男女雇用機会均等法が施行されて3年。女性の社会進出と自立が進み、価値観が多様化する時代とこの曲とが共振していたに違いない。

■震災後、孤立深める人々

 そんな高揚は、しかし急速に萎えていった。95年1月に起きた阪神大震災と、同年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件は日本社会の脆弱さを見せつけ、バブルが去った現実を強烈に知らしめた。少子高齢化をめぐる不安も、90年代後半から次第に深まっていく。

 「僕らの歩いてる道はね、両側に壁がある。ふだんは壁の向こう側の現実はなかなか見えない。ところが大きな災害があって壁が崩れると一気に見えるんです。災害は高齢者や障害者の困窮をさらけだす」

 こう語るのは、阪神大震災の発生直後から神戸市でボランティアを続けてきたNPO法人「よろず相談室」の牧秀一理事長だ。被災高齢者の孤独死はなお後を絶たず、障害を抱えたままの人も多い。「亡くなって葬式があっても、身寄りが誰も来えへん。せいぜい2人とか。この人たちの人生、何だったんやろ……」

 人口減が止まらず、多死と「無縁化」が押しよせる日本を被災地は先取りしているのだろう。東日本大震災の東北でも、被災者の多くが同じような孤立のなかにある。「やることが多くて、ちょっと疲れてきた」という67歳の牧さんだが、活動は神戸にとどまらなくなった。

■少しずつ広がる共助の輪

 不安が積み重なった平成の30年。それでも光明を見いだすとすれば、こうした共助の輪が少しずつでも広がっていることだろう。ひとたび災害が起きたときの、ネットを通した支援の呼応はかつてなかったことだ。東北の被災地ではいまも、NPOやソーシャルビジネスの担い手による息の長い取り組みが続く。

 「みんな、大丈夫? いちど集まらない」。東日本大震災の後、元プリンセスプリンセスの5人はメールで連絡を取り合って再会。1年間だけの再結成を決めた。「いま、5人ができることは何だろう。人生のお役目は何だろう。そんな話になったんです」と中山さんは振り返る。

 バンドは被災地をはじめ各地を回り、収益金は仙台のライブハウス「PIT」建設などに使われた。そして昨年3月。そのこけら落とし公演でプリプリはほんとうに終わった。多難な時代を生きる等身大の5人への拍手を、バブル世代も往時を知らない若者も惜しみなく送った。

■タコツボ社会で増す 息苦しさ
 テレビをつけると、きょうもまた「ニッポン褒め」の番組をやっている。科学技術、食文化、暮らしのマナー、伝統芸能などなどに外国人が驚き、褒めそやす。
 褒められて悪い気はしないし、たしかに誇るべきものは多いこの国だ。しかし、こうも自分褒めの趣向が受けるようになったのはここ10年ほどの傾向だろう。
 いつまでもバブル崩壊の傷が癒えず、自信喪失に陥った社会の見る夢が自己賛美なのかもしれない。冷静に現実を眺めれば、危機は深まるばかりだ。だから見たくないものには目をふさぎ、見たいものだけを見ようとする――。
 あの時代は、もうすこし視野が広かったのではないか。ルポライターの昼間たかしさんは、いまの日本社会を「意識のタコツボ化が進んでいる」とみる。
 昼間さんは42歳。バブル期を追体験しようと、当時の若者雑誌を読み込んで「東京バブルの正体」なる本を書いた。浮かび上がったのは、陽気で、ギスギスしていなかった時代の空気だという。「バブルに対する反省はそういう空気も否定してしまった」
 当時を知る身としては複雑な思いも禁じ得ないが、何ごとにつけ「もっと」を望む気分が強かったのはたしかだ。試みに雑誌「BRUTUS」の1989年12月15日号をひもとけば、クリスマスをめぐる「願望」の洪水である。
 そういう時代は過ぎ去り、身の丈に合った生活が見直されるようになった。シンプルな生き方を志向する人が増えるのも、社会の成熟を示す現象である。
 だからといって外の世界への関心まで失い、内ごもりに終始しているなら困ったことだ。多様性尊重と言いながら、息苦しさと同調圧力が増すばかりである。バブル期ははかない時代だったが、世に好奇心は満ちていた。そこにいま一度、目を向けてもいい。(大島三緒)

平成の30年 陶酔のさきにをMyニュースでまとめ読み
フォローする

Myニュース

有料会員の方のみご利用になれます。
気になる連載・コラムをフォローすれば、
「Myニュース」でまとめよみができます。

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ

電子版トップ連載トップ


日本経済新聞社の関連サイト

日経IDの関連サイト

日本経済新聞 関連情報