2018年7月16日(月)

作曲家・大澤壽人に再び光 評伝や公演相次ぐ(もっと関西)
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2017/10/27 17:00
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 神戸生まれの作曲家、大澤壽人(ひさと)(1906~53年)にスポットライトが当たっている。約600ページ立ての評伝が出版され、特集演奏会が東京に次いで阪神間でも開かれるなど、関連事業が目白押し。早すぎた死に、再評価の機運が追いついてきた。

大澤壽人は近年、再評価の機運が高まっている(兵庫県西宮市の神戸女学院大学)

大澤壽人は近年、再評価の機運が高まっている(兵庫県西宮市の神戸女学院大学)

 東京・サントリーホールで9月に開かれたサマーフェスティバル2017「片山杜秀がひらく日本再発見」シリーズ。合計4日間のプログラムを組んだが、9月3日の副題が「戦前日本のモダニズム 忘れられた作曲家、大澤壽人」だ。

 山田和樹指揮・日本フィルハーモニー交響楽団で、「コントラバス協奏曲」と「交響曲第1番」のいずれも世界初演の2曲のほか「ピアノ協奏曲第3番 神風協奏曲」という、いわば大澤づくし特集となった。一連の日本再発見シリーズで武満徹や芥川也寸志といった著名どころをおさえ、単独作曲家で一日の全編を構成したのは大澤特集のこの日だけだった。

 企画した評論家の片山氏は「2000年に遺族の計らいで手稿譜の調査をさせてもらったとき、初めて全貌の一端をのぞいた。近代日本の重要な作曲家の一人で、もっと知られてよいと考えた」と意図を語る。

■主流に染まらず

 大澤の音楽は戦前の作品にしてはあか抜けたモダンさが特徴だ。コントラバスやサクソフォンなど、日本人作曲家が普通は手がけない楽器に光を当てた協奏曲を作曲していることにも一端をうかがえる。

 それは大澤が東京音楽学校(現在の東京芸術大学)といった音楽の専門教育から距離を置いて育った経歴と無関係ではない。関西学院を卒業後、音楽修業で留学先に選んだのは米国とフランス。1930年から34年にかけてボストンに留学、パリを経て36年帰国した。

 「戦前の日本では西洋音楽といえばドイツ・オーストリア系が主流。その一辺倒に染まらなかったのが先駆的」。こう語るのは評伝「天才作曲家 大澤壽人」をみすず書房から出版した生島美紀子・神戸女学院大学非常勤講師。

 大澤は西洋音楽の近代三大改革者にドビュッシー、ストラビンスキー、シェーンベルクを挙げる。いずれも和声やリズムの伝統的岩盤に揺さぶりをかけ、20世紀音楽の地平線を広げた。ただ戦前の日本ではキワモノ扱いに近く、評価はまだ定着していなかった。

 「それらをいち早く自らの書法に吸収しようとしていた。しかもシェーンベルクには大澤自身、留学先のボストンで会っていたのだから驚き」(生島氏)

 留学先のボストン大学音楽学部で頭角をあらわすと楽壇で顔が広がり、自作曲をボストン交響楽団に招かれて指揮する栄誉さえ勝ち得る。パリでも楽壇の名士と交わり、自作を指揮する機会に恵まれた。

■軍国主義の影

 満を持して帰国するも、作曲家としてこれから、という時期に軍国主義が台頭。戦意高揚のための楽曲など、10年近く不本意な分野での作曲を余儀なくされる。ようやく戦後は映画やラジオにも活躍の場が広がり、精力的に作編曲をこなしたが、47歳で死去した。

 大澤は生前、神戸女学院大の教壇に立った縁から、自筆譜や書簡など関連資料3万点を遺族が同大学に寄贈。生島氏は大澤家の蔵からばらばらに出てきた譜面を校合・校正し整理してきた。存在を知られなかった曲も相次ぎ発見され、総数は映画音楽・放送関係の作品・作編曲を含め大小約1000作にまで膨らんだ。

 「作品が出版されることが少なかったため、再演機会も限られ、没後しばらくすると次第に忘れられたが、生誕110年を過ぎて再評価の機運が生まれつつある」(同)

 ゆかりの関西でも演奏会が予定されている。11月26日には兵庫県立芸術文化センター(西宮市)で通算5回目となる「大澤壽人スペクタクル」。ピアノ独奏曲「ソナチネ ホ短調」「丁丑春三題」やピアノ伴奏による「バイオリン小協奏曲 支那詩」などを小倉直子のピアノ、真田彩のバイオリンほかで演奏する。

 また2018年3月11日には神戸文化ホール(神戸市中央区)で神戸市混声合唱団が大澤の作品ばかりを取り上げる予定だ。

(編集委員 岡松卓也)

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