2019年9月15日(日)

波瀾の相場師 志は今も 大阪市中央公会堂(もっと関西)
時の回廊

2017/10/25 17:00
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大阪・中之島(大阪市北区)の東部地区は大阪の民の力を映すエリアだ。

明治期、大阪府の教育振興計画に呼応した住友財閥の当主、15代住友吉左衛門の寄付で生まれた大阪府立中之島図書館(1904年開館)、株取引で財を成した岩本栄之助の寄付で建てられた大阪市中央公会堂(18年開館)、住友グループから世界有数の安宅コレクションの寄贈を受けてできた大阪市立東洋陶磁美術館(82年開館)が並ぶ。

大阪市中央公会堂は保存・再生工事を経て2002年、国の重要文化財に指定された

大阪市中央公会堂は保存・再生工事を経て2002年、国の重要文化財に指定された

中之島図書館と中央公会堂が建設されたのは大阪が急激に発展し始めた時代。開館年代は14年離れているが、ともに欧米の視察で富豪が私財を投じて公共施設を整備していることを知り感銘を受けたことがきっかけになっている。

岩本栄之助は父、栄蔵の跡を継いだ株式仲買人で、寄付時はまだ34歳だった。現在の価値に換算して50億円から100億円とされる100万円の寄付は、一種の「事件」として世間を驚かせた。岩本はその後株取引に失敗し、公会堂完成を目にすることなく、16年にピストル自殺で非業の最期を迎えている。

こうした経緯だけを見ると、若い成り金が華々しい金の使い方をし、大失敗して散ったという話に受け取られるかもしれない。

「そういう見方をされるのが一番残念。生涯をたどると、親孝行で思いやりがあり、公徳心がとりわけ強かった人柄が分かる」。北浜の証券会社に勤めながら昔の資料を集め、退職後「大阪の恩人 岩本栄之助 考説」という私家本をまとめた寺村安雄さんは語る。

商売で成功し株の仲買人としても名声を得た父を尊敬していた栄之助は、日露戦争時の大相場で苦境に陥っていた仲買人たちを助け、「株式界の義人」とも呼ばれている。

岩本の転機になったのが、明治末期の09年、日本の有力実業家約50人が参加した渡米視察団(団長・渋沢栄一)に加わったことだった。旅行の最中に父が亡くなり、帰国した岩本はその父の遺産50万円に自分の資産50万円を加え、寄付することを考えた。

友人に「大阪はこれだけの都市なのに公会堂がない。公会堂を造ろう」「自分ら若造の商人がやるのはせんえつだとは思うが」という趣旨の話をしている。

寄付をして公会堂の建設が始まった後、相場で失敗した岩本に市が資金を戻す話が浮上したが断った。寺村さんは「そんなことをされたら真の寄付ではなくなると思ったはず。自殺も生き恥をさらしたくなかったのだろう」と推察する。

特別室の天井には日本神話の天地開びゃくの図が描かれている

特別室の天井には日本神話の天地開びゃくの図が描かれている

16年10月22日に自殺を図り、27日に死去した。辞世は「その秋をまたで散りゆく紅葉哉(かな)」。波瀾万丈(はらんばんじょう)の生涯は大阪市民の胸を打った。寺村さんは昔、父親から「公会堂を建てたんは、ほんまに偉い人やったんやで」と聞かされたという。

大阪市は公会堂開館35年を記念して53年、特別室(旧貴賓室)に遺族や経済人を招いて故人をしのぶ座談会を開き、翌54年には「公会堂の恩人 岩本栄之助」という本を編さんした。

ただ現在、岩本の功績を知る人は少ない。来年の100周年を前に、公会堂の職員は昨年、京都市にある栄之助の墓参りをした。中井雅博館長は「岩本栄之助をもっと多くの人に知ってもらいたい。市民のための施設を、と願った遺志を継いでいきたい」と話す。

文 編集委員 堀田昇吾

写真 浦田晃之介

 《交通・ガイド》京阪中之島線なにわ橋駅から徒歩1分。地下鉄御堂筋線、京阪本線淀屋橋駅から徒歩5分。
2014年5月から、歴史や施設の装飾などの解説が聞けるガイドツアーが行われている。来年の開館100周年を前に、11月17日には公会堂の魅力を語り合うプレシンポジウムが開かれ、特別室や集会室が見学できる。
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