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見据えるは五輪メダルの偉業 陸上・山県亮太(下)

2017/10/29 6:30
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 山県亮太の武器の一つがスタートだ。号砲が鳴ってからスターティングブロックに力を加えるまでの「リアクションタイム」は年々向上。2016年はリオデジャネイロ五輪100メートル準決勝で0秒109、9月の全日本実業団対抗選手権では0秒107を記録した。

 人間が音を聞いてから体が動くまでには最低でも0秒1かかるとされ、これより速く反応するとフライングになる。今や世界屈指、人間業の極限に達した山県だが、スタートに特化した練習に取り組んだのはリオ五輪期間中だった。

 現地での練習に手応えを感じられず、ジュニア時代からの付き合いの鍼灸(しんきゅう)師、白石宏の助言をもとに構えを改良。視線を前に向けて胸を張り、背中を伸ばすようにした。すると、脳からスタートの指令が出た際に「一つもクッションを挟まずに足まで力が伝わり、ぽんと出られるようになった」。フォームの改善が実り、準決勝では当時の自己ベストとなる10秒05をマークした。

 とある本の表紙絵を見た時、山県は思わず目を奪われた。「自分と一緒だ」。本の題名は「暁の超特急」。1932年ロサンゼルス五輪男子100メートルで6位入賞を果たした吉岡隆徳の評伝だ。表紙にあったのは吉岡のスタート直後の写真で、視線は前を向き、背中がぴんと伸びていた。

マネジャーの瀬田川(左)も山県の心身の成長には目を見張る

マネジャーの瀬田川(左)も山県の心身の成長には目を見張る

 吉岡が著した練習の教本は目を皿のようにして読んだ。「水の上を走る」といった珍妙な練習法は「右足が沈む前に左足を前に出すということか。速い切り返しをトレーニングされたんだな」と解釈。そうして咀嚼(そしゃく)するうちに「吉岡さんが意識されたことに自分がどんどん寄っていくのを感じた」。五輪の100メートルで日本人唯一のファイナリストと同じ思考を持った時、揺るぎない自信が芽生えるのを感じた。

 評伝では36年ベルリン五輪の話が印象に残る。2次予選で敗退した吉岡は「日本に帰れない」と帰りの船から海に身を投げようとした。「時代だな」と思った山県は「それだけ気を張ってやっていたと思うと、自分はもっと頑張らなければという気持ちになった」。

 本好きの山県の書棚にはかつて対談し「私淑している」という将棋棋士、羽生善治の著書も収められている。「絶対に落とせない一戦にどういうメンタルで立ち向かうか。そこでのアドバイスを読んで試合に臨むと落ち着く」。得心がいった記述をまとめたメモは心の安定剤。慶大時代の同僚でマネジャーの瀬田川歩は「勉強熱心。どんどん引き出しが増えていっている」と成長に目を見張る。

 山県は19年世界選手権で決勝進出、20年東京五輪はメダル獲得という青写真を描く。リオ五輪で決勝進出ラインまであと0秒04と迫り、今年は王者ウサイン・ボルトが引退。東京五輪では「9秒8台の記録があれば表彰台を狙える」。吉岡も果たせなかった偉業への道筋は見えている。(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊10月25日掲載〕

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