2018年7月22日(日)

黎明期 関西の力が支えに カプコン会長 辻本憲三さん(もっと関西)
私のかんさい

コラム(地域)
2017/10/24 17:00
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  ■カプコンの創業者で会長兼最高経営責任者(CEO)を務める辻本憲三さん(76)は奈良県橿原市に生まれた。中学2年生の時に父を亡くし、釣り具メーカーで働きながら県立畝傍高校の定時制を卒業した。

 つじもと・けんぞう 1940年奈良県橿原市生まれ。県立畝傍高を卒業後、叔父の菓子卸を継ぐ。ピンボールなどのレンタルやブームとなった「スペースインベーダー」のライセンス販売を手がけた後、83年にカプコン創業。2007年に会長に就き、長男が社長を継いだ。

 つじもと・けんぞう 1940年奈良県橿原市生まれ。県立畝傍高を卒業後、叔父の菓子卸を継ぐ。ピンボールなどのレンタルやブームとなった「スペースインベーダー」のライセンス販売を手がけた後、83年にカプコン創業。2007年に会長に就き、長男が社長を継いだ。

 実家の隣町にある叔父の菓子卸で働いた後、大阪に駄菓子屋を開いた。ある日「店先に置いてほしい」と綿菓子製造機を持って東京から営業マンがやってきた。試しに1台置いたところ、すぐに子供たちの列ができた。お金を入れて自分で綿菓子を作る機械だったので新鮮だったのだろう。「これはもうかる」と直感し、その会社に販売を手伝いたいと申し出た。

 西日本を中心に都会だけでなく、漁村にまで足を運んで売り歩いた。娯楽の少ない田舎の方がよく売れた。今から振り返ればゲーム業界への入り口になったと思う。

 1970年ごろからは米国から輸入したピンボールのレンタルを始めた。当時のピンボールはブリキと針金だけで作った部品を電気で動かす仕組み。その職人技に驚き、欧米の洗練された娯楽文化を目の当たりにした。これが世界に通用するものを作りたいと思うきっかけとなった。

 メダルゲームを作ることになったのだが、技術も人も足りない。そこで関西の企業とゲーム機の製造会社をつくった。電機や自動車などの産業が集まる関西のものづくりの強さを感じた。ゲーム会社としての黎明(れいめい)期を支えてもらったことが、今のカプコンの礎となっている。

  ■83年、大阪市平野区でカプコンを創業した。当初から一貫して世界に通用するゲームを意識し続けている。

 日本企業としていち早くテレビゲームの開発に着手した。テーブルに画面が埋め込まれたものが主流で、「ブロックくずし」に似たゲームなどを開発した。87年に業務用ゲームとして発売した「ストリートファイター」は専用のメモリー基板を開発し、これまでにない複雑な操作ができるようになった。家庭用ゲーム機の高機能化に対応したことで世界中でヒットした。各地でストリートファイターのゲーム機を見るたびに誇らしい気分になる。

  ■2千人を超すソフト開発者のほとんどが大阪市の本社で働く。2016年4月には約100億円を投じて、最新鋭設備を備えた開発棟を新設。だが大阪に拠点を構えるのは関西に対する愛着よりも経済合理性の観点から。関西人のそろばん勘定を働かせる。

 ゲーム会社にとって原価のほとんどが人件費。開発拠点は「音の出ない工場」だ。いかに人を集めるかを考えた時に大阪市中央区周辺は最適だ。住む場所が多くて家賃も東京より安い。治安も良く、子育てもしやすい。今年4月に社員の子どもを預かる保育所と塾を兼ねた施設を作った。16年4月には200台収容できる4階建ての駐輪場を設けた。社員には半径5キロメートル以内に住んで自転車通勤を勧めている。

 ゲームのデジタル配信が増え、将来は24時間3交代制で世界の稼働状況を監視しなければならない。6千人は必要だが、東京では人を集められないだろう。

  ■大阪府・市がめざすカジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致には、長期目線での計画づくりが必要との考えだ。

 米ラスベガスで開く世界最大級の格闘ゲーム大会にストリートファイターが採用されるなど、カジノとはなじみが深い。周辺にレストランやイベント会場などが集まり、観光客の満足度は高い。IRを大阪に誘致できなければ、集客力でほかの地域に負けてしまう。

 ユニバーサル・スタジオ・ジャパンは関西に観光客を呼び込む目玉になっているが、開業当初は行政主体で、うまくいかなかった。誘致する側の行政が上に立つのは仕方がないが、企業活動のように5年先、10年先を見据えた計画を練ってほしい。組織は大きくし過ぎず、コンパクトにした方がうまくいくと思う。

(聞き手は大阪経済部 上田志晃)

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