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リポーター・長谷川まさ子さん 愛情感じた父の弁当

NIKKEI STYLE

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は芸能リポーターの長谷川まさ子さんだ。

――お姉さん、姪御(めいご)さんとの3人暮らしですね。

「父は17年前、母は14年前に亡くなりました。私は芸能リポーターとして走り回る日々。姉家族にとって、同居する私は稼いでくる父親のような感じですかね。さばさばした性格もあって、姉からは半分冗談で『パパ』と言われます。小さいころから活発で、短髪にして男の子のように育てられたんです。父が『まさこ』ではなく『まさお』と呼んだ時期もありました」

――本当のお父さんは家庭ではどんな人でしたか。

「ずっと旧三洋電機に勤務し、家族は三洋の工場があった群馬県に住んでいました。休日は皆で榛名山などにドライブに行きました。私が中学生のときに父が東京へ単身赴任することになり、私も東京の高校へ進みました。父は毎日、弁当をつくってくれました。『保温性があるんだ』と、おにぎりをラップしてから新聞紙で包むんですよ。昭和の人ですね。愛情を感じました」

「私が超未熟児で生まれたこともあるのでしょうね。医師からは、このまま育つかわからないと言われたそうです。アルバムを開くと1歳まで私の写真がありません。そこまで生きるかどうか、わからなかったのでしょう。だから、ちゃんと育ってうれしかったのだと思います。元気でいてくれればいいと、やりたいことをやらせてくれました」

――職業選びでも愛情が表れています。

「父は『おまえは自由に生きるのが向いている』と、仕事に関して口出しはしませんでした。母に『あなたはおしゃべりが向いている』と言われ、TBSテレビが俳優を養成する『緑山塾』に入りました。ラジオ番組のアシスタントを務めていたとき、父はディレクターらを招いて食事会を開き、『娘をよろしく』と頭を下げていました」

――そんな理解のあるお父さんが、本気で怒ったことがあるそうですね。

「ずっとクラシックバレエと器械体操をやっていて、家には平均台がありました。高校では新体操部に入ったんです。でもきつくてやめたいと思っていた。そのころ、俳優の千葉真一さんが主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)所属のアクションスターだった志穂美悦子さんに憧れ、新体操部をやめてJACに入りたいと父に切り出したんです」

「怒りましたね。『それは逃げだ』と。反省しました。リポーターになったころ、いやで仕方がありませんでした。嫌われてもやる必要があるのか。しかし、逃げてはいけないと思いました。求められていることをやるのが仕事。我々の仕事は不安定で、いつなくなるかもしれない。仕事があるうちは頑張ろうという気持ちですね」

[日本経済新聞夕刊2017年10月24日付]

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