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今西林三郎氏 ドタン場で暗転
市場経済研究所代表 鍋島高明

2017/11/4 5:30
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 かつて大阪株式取引所理事長の島徳蔵は「会社屋」と呼ばれるほど数多くの会社の株を持ち、経営にかかわった。島の少し先輩格の今西林三郎も数十社の経営に首を突っ込んできた。

 「日露戦後の諸会社勃興時代に首を突っ込むこと数十穴(社)、今西の肩書は発起人、創立委員、取締役、監査役と数十種、彼は熱心な奔走で権利株を膨大なものにした。…わが大阪の財界に奔走して利を漁り、大正10年の春にはあっぱれ、商工会議所の会頭となって時めいたものであった」(岡村周量著「黄金の渦巻へ」)

 今西の前半生をたどると目まぐるしいほどに所属先を頻繁に変える。明治13年、29歳の時、ひょう然と四国宇和島から大阪に出ると、東京の三菱商業学校達成科に入る。わずか数カ月で、三菱合資銀行部長の豊川良平の覚えめでたく、同社の社員となり長崎支店詰となる。が、翌年これを辞し、大阪でみずから回漕問屋を営む。

 同15年資本金8000円の大阪同盟汽船取扱会社の設立に奔走し、翌16年社長に就任する。同じころ、住友の広瀬宰平の発議で資本金120万円の大阪商船創立の機運が高まると、またまた奔走、同18年にはみずからの同盟汽船と大阪商船との合併を図り、大阪商船回漕部長となり、やがて支配人に昇進する。岩崎弥太郎の郵船汽船三菱会社に対抗する勢力として、大阪商船の創立に中核となって働いた今西だが、ここにじっと腰を落ち着ける男ではない。

 「明治22年、これを辞し、石炭問屋と綿糸商を開業した。以来、勢力振興、家運発展し、石炭商組合の取締役より進んで同組合長に就任、資産100万円を超え、浪華財界屈指の豪商となったのである。同24年大阪毛糸、伊予物産の創立発起人として尽すい、のちその取締役となり、翌25年山陽鉄道支配人となり、陸上運輸事業に進出して、同社が国有になるに際し先見をもって立ち居振る舞いを誤ることなく、同年朝日紡織創立発起人として奔走、のちその監査役に推され……」(実業之世界社編「財界物故傑物伝」)

 そして明治26年、中村惣兵衛や山本治兵衛らと大阪三品取引所の創設にかかわり、同34年第3代理事長に就任する。当時は資本金30万円だったが、同40年には100万円、大正7年200万円、同9年500万円と増強を続け、同12年まで22年間にわたり三品の采配をふるった。

 この間、今西は三品理事長に専念したわけではない。阪神電鉄の創立に加わり、島徳蔵、岩下清周、片岡直輝らとその隆盛に務め、みずから陣頭に立って専務となり、さらに社長として統括した。大正4年には愛媛県から出馬して衆議院議員となり、同10年には大阪商業会議所会頭として大阪経済界の頂点に立つ。時に70歳。まさに「晩晴」と呼ぶにふさわしい爽やかな晩年を迎える。

 奔走に次ぐ奔走ののちたどりついた静寂のその時、今西を驚倒させる事件が勃発する。それは高倉為三・大阪堂島米穀取引所理事長が経営する日本積善銀行が倒産したのだ。今西は先代高倉藤平とことのほか親しく、ほんの名ばかりとはいえ、監査役を務めていたのだが、「港に入って船を破る」のたとえの通り、暗転する。

 「財産全部はき出せとの声に今西老は卒倒して病床についたのも無理からぬ。すべての持ち株を北浜市場で処分したとかだが、青年時代からの力行奮闘のたまものを二束三文で手放さねばならなくなったとは、げに一掬同情の涙なからんや、ではないか」(「黄金の渦巻へ」)

 今西が関係した会社は既述のほかに、大阪港土地、東洋木材防腐、大阪電鉄、明治製煉、和歌山水電、大日本鉱業、中央セメント、大阪ガス、帝国冷蔵…三十数社に及ぶ。

 今西林三郎の家督を継いだ女婿の今西与三郎はなかなかの人物で阪神電鉄社長などを務めた。=敬称略

信条
・学あり、才あり、胆あり、勇あり
・天性磊落(らいらく)奇才、弁舌爽快にして明晰(めいせき)
・人に接すること親切にして尊大ならず
・ことを処するに当たって周到にして丁寧、大阪紳士に珍しき風格を持っていた(「財界物故傑物伝」)

( いまにし りんざぶろう 1852-1924 )
 嘉永5年愛媛県出身、明治13年大阪に出たのち三菱商業学校に入る。三菱合資銀行部長の豊川良平にかわいがられ、長崎支店勤務となるが退社、大阪で海運業を始める。同16年大阪商船の創設に参画、同22年退社し石炭問屋、綿糸商を開業、巨利を博す。大阪毛糸、伊予物産、山陽鉄道などの創設に加わり、同26年大阪三品取引所の創立に参画、理事長を22年間務めた。この間大正10年には大阪商業会議所会頭に就任。
(写真は「阪神電気鉄道八十年史」より)

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