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英マラソン 走り抜いた後の開放感がたまらない

編集委員 吉田誠一

スポーツが文化として根づいている国でスポーツをする快楽を一度、知ってしまうとクセになる。スポーツがもたらす豊かな空気、そこに流れる時間を味わいたいという思いが募り、海外の大会に足が向く。

かなり遅い「夏休み」をとり、向かったのは英国のヨークシャーマラソン(10月8日、ヨーク)。英国の大会に出るのは4年半ぶりで、フルマラソンとなると2007年のネス湖マラソン以来10年ぶり2度目になる。

拍子抜けするほど簡素

最高気温が15度で絶好のマラソン日和

英国の大会は簡素だからいい。サービスは最低限に抑えられているが、必要なものはすべてそろっているので何も困らない。

計測チップ付きのゼッケンナンバーは宿泊するホテルに送ってもらった。封筒を開けると、入っていたのはまさにゼッケンナンバーだけ。えっ、これだけ? 大会案内の印刷物も何もない。

確かに、レースガイドは詳細にわたるものを事前にメール配信しているので、他に必要なものはない。ちょっと拍子抜けするが、文句はない。

そもそもマラソン大会というのはランニング愛好家が安全に楽しく走れて、記録を正確に計測してもらえさえすれば十分で、余計なサービスはいらない。

エンターテインメント性を高め、エイドステーションの飲食物で参加者をつり、参加賞でつる日本の大会はやりすぎではないかと思う。

ヨークシャーマラソンはヨーク大学を発着点として、古都ヨークの郊外を巡る。スタートは午前9時半。6時すぎに目を覚ますと、まだ暗い。日の出は7時半すぎで、朝の気温は10度を下回っている。最高気温も15度の予想だ。

先週末から日本も冷え込んでいるが、10月8日の時点では日本と英国の気温差は10度もあった。6日に英国入りしてからは風邪をひかないように気を使った。

スタート地点は飾り気がなく、派手な演出があるわけでもない。日本と比べると、若いランナーが多い気がする。体つきを見ると、老いも若きも鍛え込まれている感じだ。

ヨークのシンボルである大聖堂

スタートは曇天のもと、半袖シャツにアームウオーマー、短パンにハイソックスといういでたちを選択し、もし暑くなったらアームウオーマーは外すつもりだった(結局、外さずにゴール)。

フルマラソンの参加者は4000人を超えるが、妙に静かで、足音だけが響く。熟練者の集まりということなのだろう、ざわつきがない。

スタートして1マイル(1.6キロ)すぎで、古都をぐるりと囲んでいる城壁をくぐり市街地に入る。ヨークのシンボルである大聖堂はランナーを祝福する鐘(たぶんそういうことなのだろう)を鳴らし続けてくれている。

沿道には観戦者が鈴なりで(その後、観戦者がこれほど多い地点はなかった)、途切れることなく拍手を送ってくれている。まさにスタンディングオベーションだ。体の奥底から力が湧いてくる。

2週間前のオホーツク網走マラソンの疲れはうまい具合に抜けている感じがする。この間、練習を最低限に抑えてきた(最長で9キロまで)のがよかったのかもしれない。後半、脚がどうなるかに不安はあるが、体調は悪くない。

再び郊外に出て、あとはほとんど農耕地の中を走る。2マイル地点から7マイル地点までほぼ直線で、見通しがいい。英国の田園風景がどこまでも広がる。

沿道からの声援の中、ランナーが駆け抜ける

英国でドライブをしていると、よく「ここでゆっくりランニングをしたら最高だなあ」という道に巡り合う。というより、この国はそういう道ばかりだ。

まさにいま、快適な道を走る機会に恵まれている。じっくり味わわなくてはいけない。時計を気にせず、走ることにした。

序盤は自分の体をレースに慣らし、1キロ=4分50秒~5分のペースに合わせようとするあまり、時計を気にしすぎていた。窮屈な思いをして、余計な力を使ってしまっている。もっと自分を解放したほうがいい。

走り始めたら、自分を野に放つ感覚を持てばいいのかもしれない。この気持ちのいい風景に自分を溶け込ませよう。英国の風景に自分を親和させ、調和させ、違和感のない存在にする。

その風景とともに、その時間とともに自分も流れていく。「風になれ」といえばいいのかもしれない。そういうイメージで真っすぐな道を駆けていくと、余計な力が抜けてきた。

序盤の5キロは23分56秒、次の5キロは23分54秒(自分の時計で計測)とペースも落ち着き、楽に走れている。しかし、これがいつまでも続くわけではない。

急な坂道ではないが、アップダウンがあるのは英国の郊外なのだから当然だ。土地にうねりがある。苦手の上りでどうしても調子が狂う。

前半の上り下りがきつかったオホーツク網走マラソンに比べたら楽なものではないか、と自分に言い聞かせるしかない。

25キロまではほぼ合格点

ゴール直後にノンアルコールビールのサービスがある

そうやって何とか粘り、25キロまではほぼ合格点で走り続けた。しかし、そのあたりから脚の張りを感じ、失速を止められなくなった。

15マイル地点を過ぎてから3時間30分のペースランナーが率いる集団に抜かれ、気落ちする。14マイル地点~20マイル地点も直線なので、ペースランナーを視野に入れたまま踏ん張ろうと思ったが、それもかなわなくなった。

苦しいのは自分だけではない。周りのランナーも、もがいている。全く苦しまずにゴールできるランナーがいるはずがない。みんなもつらいのだと想像することで、わずかに苦しみが和らぐ。

考えてみると、4000人を超える参加者の苦しみの総量は相当なものだろう。それを計る手段はないが、マラソン大会とは「みんなで苦しみを創出するイベント」と言えるのではないか。

もちろん、ゴールすれば、これまた相当の喜びが創出されるが、参加者の喜びの総量より苦しみの総量のほうが大きいような気がする。

それでも、これだけ多くの人間がマラソン大会に出るのだから不思議なものだ。苦しみはある意味では、人間にとって魅力的なものなのだろうか。

いや、こう考えたほうがいいのかもしれない。人間は苦しみの先にあるものを想像できる。そこにあるはずの開放感、安堵感。それは苦しみを乗り越えなければ味わうことができない。

ふくらはぎに痛みを感じながらゴールを目指す

もがき苦しんだ末にゴールし、体がホッとしているのを感じる。安らぎといってもいいものだ。その何ともいえない優しい感覚を求めて、人はこれほどつらい思いをして走るのではないか。

そういうことを考えることができるのはもちろん、ゴールしてからだ。「いま自分は安らぎを求めて苦悩しているのだ」なんて考えながら、格好よく走っているわけではない。

30~35キロは26分57秒を要し、35~40キロは27分47秒まで落ち込んだ。そういう中でも、最後の3キロほどで加速しようという意志が働いた。

しかし、加速すると、にわかに左脚のふくらはぎの筋肉がピクピクし始め、脚がいうことをきかなくなった。肉離れを起こすのではないかと不安になり、立ち止まってストレッチをした。沿道の女性が「大丈夫よ。いけるわよ」と励ましてくれる。

幸い、ピクピクは収まり再スタート。これを3度、繰り返した。肝心のところで起きたトラブルを恨むが、これも実力だから仕方がない。

最後の500メートルほどが上りで、「いじめかよ」と思いながら必死になる。沿道から「Well done」(よくやった)の声が飛び続ける。

激励の嵐の中、ゴール。記録は3時間36分1秒(ネットタイム)で、目標としていた3時間30分は切れなかった。前半が1時間42分41秒なのに、後半は1時間53分20秒を要した。

身も心もいい具合に脱力

しかし、オホーツク網走マラソンより8分42秒縮めたことにはなる。終盤、ストレッチをするために立ち止まったが、網走に続いて今回も途中で歩くことはなかった。マラソンを走り抜く脚力と心の耐性は戻ってきているのかもしれない。

完走メダルはずっしりと重い

ゴールしたら、すぐにノンアルコールビールのサービスがあるのが英国らしい。ぐいぐいと飲みほす元気がないのが残念だが、この「ぐったり感」がたまらない。

やはり、今回も苦しみを何とか乗り越えた開放感、安堵感が体に満ちている。身も心もいい具合に脱力している。

気持ちよく走っていたレースの前半、「ここで好記録が出たら、しばらく休もう」と考えていた。最近、いつもそう思っている。

しかし、またしても納得のいかない記録に終わった。だから、また走らなくてはならない。私の体が「お願いだから早く納得のいく記録を出して休ませてください」と懇願している。いや、懇願しているのは心のほうか。

納得できないから、私はまた好きなランニングを続けることができる。いいことではないか。そもそも、マラソンに限らず、自分に納得するときなんて来るのだろうか。

たぶん、永遠に来ないようにできているのだろう。もし、来ちゃったら、どうやって生きていけばいいの?

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