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琵琶湖が堀 家康の要塞 膳所城跡(もっと関西)
時の回廊

2017/10/11 17:00
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 琵琶湖に架かる近江大橋のすぐ南に、湖面に突き出す小さな半島がある。東西、南北ともに百数十メートルほど。江戸初期に建造された膳所(ぜぜ)城の跡だ。

琵琶湖に突き出た膳所城跡
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琵琶湖に突き出た膳所城跡

 現在は膳所城跡公園(大津市)として市民の憩いの場となっている。園内に城跡らしい遺構はほとんど見当たらないが、「この半島そのものが膳所城の遺構」と、滋賀県内の城跡に詳しい県文化財保護課の松下浩さんは言う。

■人工の島に本丸

 膳所城は関ケ原の戦いの翌年(1601年)、徳川家康によって築かれた。湖岸を埋め立て、石垣で人工の島を2つ築き、それぞれ本丸と二の丸とした。当時の絵図を見ると、本丸の島は櫓(やぐら)でぐるりと囲まれ、四重(三重との説もある)の天守がそびえていたことが分かる。島の対岸に広がる三の丸や城下町との間には橋を架け、互いに行き来していた。まさに琵琶湖に浮かぶ堅固な要塞というべき様相だったのだろう。

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 海や川に面した「水城」は全国に数多く築かれたが、松下さんは「ここが特別なのは、湖を城の縄張りに完全に取り込んでいる点」と指摘する。琵琶湖は海や川と異なり、湖全体を支配している限り外部から敵の水軍が襲来することはない。このため、湖側からの攻撃は想定する必要がない。いわば琵琶湖そのものが天然の巨大な堀。小さな人工島として築かれた城だが、スケールは壮大だった。

 ところが1662年、近江一帯を襲った大地震で膳所城も天守などの建物が倒壊し、石垣が崩れるなど壊滅的な打撃を受けた。被害の詳細な記録や改修計画の絵図など、当時の文献が豊富に残る。耐震性を考慮したのか、改修後は本丸と二の丸を一体化し、対岸側の堀をいくつか埋め立てるなど、島というより現在の半島に近い形状になった。

 膳所城の築城前まで、近江南部の防衛拠点の中心は大津城だったが、関ケ原の前哨戦で近隣の山から西軍の激しい砲撃を受けて開城。大津市歴史博物館の樋爪修館長は「山から見下ろされる大津城は要害の地にあらずと考えたのだろう。家康が新たな築城の地に選んだのが琵琶湖に面した膳所だった」と話す。廃城となった大津城から、石材や城門などが流用されたことが文献から判明している。

■豊臣氏を牽制

膳所城から膳所神社に移築された門
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膳所城から膳所神社に移築された門

 家康は諸大名に資金と労働力を供出させる「天下普請」で姫路城や名古屋城、彦根城などを相次ぎ築き、天下人としての権威を世に示すが、その第1号が膳所城だった。「中山道と北陸道が交わり、水陸交通の要衝だった近江南部は真っ先に押さえる必要があったはず」と樋爪館長は言う。大坂に健在だった豊臣氏を牽制(けんせい)し、豊臣恩顧の西国大名たちを監視する目的もあった。

 膳所城には譜代の戸田氏が入城し、膳所藩が成立した。大坂の陣の後、藩主は本多氏に替わるが、明治維新後に廃城となるまでの約270年間、藩庁が置かれた。廃城の際、複数の城門が近隣の膳所神社などに移築された。ゆかりの地で今も往時をしのぶことができる。

 文 大阪・文化担当 田村広済 

 写真 浦田晃之介

 《交通・ガイド》膳所城跡公園へは京阪石山坂本線膳所本町駅から徒歩約5分。膳所神社は同駅すぐ。JR東海道線の膳所駅も利用できる。
 膳所城跡公園の湖岸は足場が悪いところもあるので要注意。湖岸に散在する石垣跡は遺構だが、櫓(やぐら)風の建物は浄水場で、天守跡の石垣や城跡を示す石碑などは近年整備されたものだ。

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