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日本のエース 強く意識 ソフトボール・藤田倭(下)

2017/10/8 6:30
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 納得できない、気に入らないことがあれば感情をむき出しにする。チームメートやスタッフとも衝突し、怒りやイライラがプレーにも表れる。少し前までの藤田倭は良く言えば人間味のある、悪く言えばわがままで抑制のきかない選手だった。「自分一人で戦っているかのようだった」。そう評する者さえいた。

 今、周囲の人間は口をそろえる。「ここ1、2年で、彼女は変わってきた」。太陽誘電で女房役の佐藤みなみも変化を感じ取る一人。マウンドやグラウンドの状態、相手の技術、自分の調子……。「状況を考え2人で話し合う時間が増えたし、言葉でもチームを引っぱるようになった」

「競技に対する意識変わった」

塁に走者をためた場面では、つなぐバッティングに徹するようになった

塁に走者をためた場面では、つなぐバッティングに徹するようになった

 何が藤田を変えたのか。同チーム監督の山路典子は2014年の世界選手権が転機とみる。「日本代表に入って経験を積み、競技に対する意識が変わった。精神的に落ち着いてきて、『考える』という動作を大事にするようになった」

 代表に選出された12年大会の出場はわずか3試合。「勉強のために入れてもらったような感じで、代表としての自覚もあまりなかった」と藤田。それが14年大会では決勝トーナメントこそ上野由岐子(ビックカメラ高崎)が投げ抜いたが、予選リーグでは5試合に登板し、日本の優勝に貢献した。エースとして席が保証されている所属チームと異なり、競争が激しい日本代表。どうすれば生き残れるか――。そんなことを真剣に考え始めた。

 16年の世界選手権はさらに藤田を成長させた。上野がケガで代表を辞退したこともあり、予選から決勝まで計7試合に登板。決勝で日本はアメリカに敗れて3連覇を逃し、エース不在の穴の大きさが浮き彫りとなった。「もっと活躍する選手にならないといけない」。“日本のエース”という肩書を、強く意識するようになった。

 打撃にもいい影響が出始めている。以前はどんな時もフルスイングに終始していたが、塁に走者をためた場面では、つなぐバッティングに徹している。日本代表ヘッドコーチの宇津木麗華は言う。「ソフトボールに必要なのはチーム力。自分の能力に頼り、ただ全力でやればいいわけではない。彼女はようやく、それが分かってきたのでは」

 上野という世界一の投手と過ごす時間が増え、藤田は改めて己の未熟さとも向き合うようになった。「上野さんはプレッシャーのかかる大事な試合でも、気持ちに波がない。周囲の様子を見て冷静な判断ができる」。かつての自分の姿の残像がまだあるからこそ、その重要性がよく分かる。

 太陽誘電に入社した09年、既にソフトボールは五輪競技ではなかった。人気低迷の時期を知るだけに使命感は強い。「自分たちに憧れる子どもたちの夢を切らさないよう、東京五輪以降も注目してもらえるプレーを続けないといけない」。日本代表としてソフトボールの魅力を伝えるため、完全燃焼を誓う。=敬称略

〔日本経済新聞夕刊10月4日掲載〕

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