2018年10月17日(水)

打者経験 投球に生きる ソフトボール・藤田倭(中)

2017/10/8 6:30
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「自分の中では投手としての思いしかない。(熱量の)割合でいったら10対0。バッティングをやらなくていいなら、やりたくない」。投打二刀流としての周囲の期待をよそに、藤田倭本人の志は一貫している。「本業は投手」。常に自らに言い聞かせている。

決して打撃練習で手を抜くわけではない。「最近は1日のうち半々ぐらいの時間配分。バッティングだけの日もある」。ただ、所属チームの太陽誘電では唯一無二のエース。「まず自分が投げないとチームは負ける」

打者と投手でうまく気持ちを切り替えられるようになったのはここ最近という

打者と投手でうまく気持ちを切り替えられるようになったのはここ最近という

長崎県佐世保市出身。3つ上の兄の影響で5歳からソフトボールを始めた。中学時代に投手として頭角を現し始め、高校は名門・佐賀女子高校へ。1年時に全国総体で優勝するなど、3年間で計5度の全国大会に出場し、エースとして活躍した。

二刀流は監督の強い勧めで

当時、視察を続けていた太陽誘電監督の山路典子はある時、藤田のロングティーの打撃練習を見て目を丸くした。「この子、パワーが半端ないな」。思い切りのいいスイングで遠くに球を飛ばす姿に強打者としても可能性を感じ、入社後すぐに二刀流を勧めた。

初めこそ提案を受け入れた藤田だが、3年目に「ピッチングに専念したい」と固辞するようになった。先発投手としてなかなか定着できず、日本リーグでは2年間でわずか1勝にとどまっていたからだ。登板しても敗戦処理に回る悔しい日々が続いていた。

それでも山路は説得を諦めなかった。「ピッチングとバッティングは下半身の使い方など似ている部分も多い。打撃センスにたけた彼女なら、タイミングさえ合えばできるはず」。監督の強い思いに根負けし、14年に藤田は二刀流への挑戦を再開した。

久しぶりに立った打席では、新たな発見も多かった。「自分だったら今の場面でこんな球を投げるな」「捕手は今このサインを出しているのかな」。投手心理を考えながら来る球に対峙。ほかの打者が持ち得ないメリットに気付いた。「投球中に打者心理も考える」(山路)ようになり、同年、初めて最多勝に輝く。

もちろん苦労した点も少なくない。打撃の調子が上がらないとマウンドまで引きずって考え込み、感情を抑えられず、思うように制球が定まらないこともしばしば。「慣れるようになったのはほんとここ最近。ようやく気持ちの切り替えがスムーズになった」と藤田は話す。

今も打者としての理想像はない。「他の選手のように細かい技術は持たないから」。それでも少ない時間の中で1球1球と向き合い、日本代表で指導も受けながら、双方の結果につながった。打たれても打ち返せる、自分にしかできない打撃の楽しさに目覚め始めている。

太陽誘電は山路の方針で他にも複数の投手が打席に立つ。同じ二刀流選手の尾崎望良は言う。「私は本音はしんどい部分もあるが、倭は違う。チームが勝つために彼女は二刀流をやっている」。大黒柱としての責任感が、藤田の武器を強くしている。=敬称略

〔日本経済新聞夕刊10月3日掲載〕

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