しめきりにまにあわない、あぶない なぜかたすかった
立川吉笑

毎週日曜更新、談笑一門でのまくら投げ。今週のお題は「危なかったけど、助かった」。ということで、今週も次の師匠まで無事にまくらを届けたい。
「危なかったけど、助かった」話は良いものだ。なぜなら、助かっているから。
助からなかったら最悪だし、危なくならなかったら助かることもないし気持ちの起伏は生まれないから、「危なかったけど、助かった」話が、本当は一番幸せなことなのかもしれない。
そういや、たいていの物語も主人公が一同は危ない目にあうけど、その後助かることでスカッとするし、確かに「危ない」渦中にいるときは余裕なんてないし、本当に危なくなんてなりたくないと思うけど、それでもひとまず助かってしまえば、危なくなって良かったとすら思えてしまう。結果論だけど。

そんな風に考えると、僕はいま「危ない」渦中にいる。
何が危ないかというと、3週間ごとにやってくるこの原稿の締め切りに間に合うかどうか、ギリギリの状態でいるのだ。師匠の冠が付いたこの連載に穴を空けるわけにはいかない。それでも、締め切りはすぐそばに迫ってきている。絶体絶命のピンチだ。
まさにいま「危ない」渦中にいる僕が、果たして制限時間内にこの原稿を書き終えて、無事に掲載されるのかどうか。今週はそんな話を締め切りまでの残りわずかな時間、お付き合いいただきたい。締め切りまであと、2分15秒。
この連載は毎回木曜日が締め切りに設定されている。
いつもは木曜の昼過ぎをめどに送信しているのだけど、今回は色々なわけがあっていつも通りのペースで執筆することができずに、危ない渦中に自分を陥れる羽目となった。どんな理由があったか、ここで説明をしたいところだけど、何しろ今の僕には時間がないから、ひとまず省略させていただきたい。だって締め切りが迫ってきているのだから、余計な文章を書くだけの暇がない。
木曜が締め切りということは、金曜の午前0時を迎える前に記事を担当編集者に送れば良いのだが、今はすでに木曜の23時57分48秒。締め切りまで残り2分12秒となってしまった。
こんなことを書くと、
「おいおい、吉笑。だったらまだ木曜の昼間の時を刻んでいる、どこか遠くの国に行けばいいじゃないか」
という皆さんの声が聞こえてくる。
だが、待ってほしい。
僕もそんなことはもちろん考えた。時差を利用すれば締め切りが延びる。そんな案はとうの昔に思いついている。でも考えてほしい。すでに今は23時57分48秒を過ぎてしまっているのだ。これから飛行機のチケットを手配して、高円寺から成田空港まで移動して搭乗手続きを済ませて、飛行機に乗ることなんて不可能だ。それに13年ほど前に一度海外旅行へ行くために取得したパスポートの期限は過ぎてしまっているだろうし、そのパスポートが今の家にあるのか実家にあるのかすら分からない。だから、時差を利用する手段は不可能だ。
現在23時57分50秒。締め切りまで残り2分10秒。
時差のトリックを使えなくなった今、僕に残された道は、この原稿を真っ当に書いて、そして真っ当に送ることだ。23時59分50秒くらいまでに原稿を書き終えて、それをコピーしてメールにペーストして、担当編集者に送る。10秒で送信までたどり着けるだろうか?
幸い、コピー&ペーストのショートカットキーは覚えているから、指定の範囲をドラッグさえしてしまえば、あとは文章ソフトとメールブラウザーのウインドウ選択だけ誤らなければ、スムーズに貼り付けることが可能だ。
とはいえ、目上の編集の方にメールを送るわけだから、ただ本文を貼り付けただけでは送信できない。件名を「立川吉笑です。」として、本文の頭には「田中健一様」などと相手の名前を記入するのが通例だ。そのあと「遅くなり申し訳ございませんが、以下今回の原稿になります。ご確認のほどよろしくお願い致します」と添える必要がある。
本文をペーストした後に、「吉笑」と署名を入れることも忘れてはならない。となると、これは結構な作業量がいるから、10秒だと間に合わない恐れがあり、23時59分40秒くらいには書き終える必要がある。20秒でなんとか送信作業を終えるしかない。
いや待てよ……。本文の頭のところだけど「田中健一様」と書くよりは「田中健一さま」にした方が、漢字ばかりが続くよりも見やすいかもしれない。「様」は漢字じゃなくて平仮名の「さま」にした方がいいか。うんそうしよう。
と、そんなことを書いている時間がもはや、もったいない。今は23時58分04秒。締め切りまで残り1分56秒。ついに2分を切ってしまった。
さっきから息を止めてこの文章を書いている。陸上の100メートル走の選手たちは息を止めて一気に駆け抜けると、どこかで聞いたことがある。確かに呼吸をしている時間があるなら、前に進むことにエネルギーを使った方がいいのだろう。
だから僕も息を止めて必死でこの原稿をパチパチしているのだけど、さっきから視界がぼやけてきていて、こんな時間なのに、なぜか外は明るく鳥たちが飛びかっている。この部屋には窓がないから、外の景色が見えることが不思議だけど、そんなことに構っている場合じゃない。
とにかく早く文章を仕上げないと、連載に穴が空いてしまう。それにしても息が苦しい、気がする。苦しいかどうか分からないけど、たぶん苦しい気がする。ここで一度息を吸った方がいいか、いや、息は吸わずにゴールまで駆け抜けるべきか悩む。息を吸った方がその後のパフォーマンスが向上して、結果、息を吸わないよりも早くに書き終えることができるかもしれない。
そんなことをしている時間がもったいないから、とにかく無心で文字を打っている。
現在23時58分05秒。ん、現在23時58分05秒? あれっ? さっきから1秒しか経っていない。どういうことだ?
この1秒で460文字ほどを僕は書いてしまったらしい。こんなスピードは夢みたいだ。確かに、さっきから、文章を書いているという気が全くしない。タイピングしているという気がまったくしない。頭の中に言葉が浮かぶと同時に手が動いていて、気づけば画面に文字列が生成されている、という感じでもなく、もはや、書くまえに文字が刻まれ続けている感覚に近い。パソコンの画面上に知らない文字が刻印されていき、自分はただそれを目でなぞっているだけのような感覚。もはや読んでもいない。いや、見ていない。僕はこの文章と一つになっている。いや、もはや僕がこの文章で、この文章が僕だ。こんな境地に自分がたどり着けるなんて。
現在23時58分05秒。ほら、さっきからまだ1秒も経っていない。僕はひたすら23時58分05秒の中にいる。
あいかわらず僕はこの文章をかいている、ランナーズハイみたいなことなのだろうか、さっきまで苦しいきがしたいきも、いまは苦しくなくて、それどころか清々しいきもちでいっぱいだったりするし、気づけば、ぼくは時間をとうの昔においぬいてしまっていたようで、とけいの針は23時58分05秒どころか、23じ58ふん04秒をさしているように見えるくらいのありさまで、それにさっきから文章がおわる気がしない、というのも句点が一切あらわれてこないし、それにさっきからなぜかひらがなが多くなっている僕のなかで漢字とひらがなのさかいめがあいまいになりパソコンの上においたはずの手はきづけばぱそこんとひとつながりになっていて、というかそのようにかんじられて、時計の針は23時58分03秒を指していて、だったらこのまま締め切りは来ないということだからこの文章を書かなくてもいいのだけど、でもどうせだったらこのまま時間をどんどん追い抜いてやろうと思う。
このまま戻って戻って時計の針が昨日の16時49分くらいを指す時まで戻って、そのとき京都にいたら、最後にもう1回おばあちゃんに会えるから。
(次回10月8日は立川談笑さんの予定です)

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