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もっと関西 父・幽雪の教え 追善で舞う(カルチャー)
観世流能楽師・片山九郎右衛門の「檜垣」

2017/9/22 17:00
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観世流能楽師の片山九郎右衛門(52)が10月29日、活動拠点の京都観世会館(京都市左京区)で催す父・幽雪の三回忌追善公演で「檜垣(ひがき)」を初演する。同曲は「三老女」と称される3つの秘曲の1つ。幽雪は生涯に4度演じ、「芸の継承」の意味からも九郎右衛門に上演を求めていた。その幽雪の教えや舞台などを胸に秘曲に挑む。

片山九郎右衛門は京都観世会館で「檜垣」を初演する

片山九郎右衛門は京都観世会館で「檜垣」を初演する

「檜垣」は「みつはぐむ」の文言を織り込んだ歌を主題にする物語。これは、老衰を表す語に水を汲(く)むことを掛けた言葉。物語は舞をする白拍子が若い頃に美貌で評判だったため、その誉れ故に死後に地獄の苦しみを逃れられず、修行僧に救済を願って仏前の水をささげる場面から始まる。

九郎右衛門は追善公演で同曲を選んだ理由として、幽雪の思いを挙げる。幽雪は2013年、自身4度目の「檜垣」を上演したが、舞台のできに納得できず、「もう一度演じたい」と漏らしていたという。

また、九郎右衛門にも同曲に挑むように求めていた。九郎右衛門が同年、三老女の1つ「姨捨(おばすて)」を初演した日の夜に上演の話を持ち出したといい、「アドバイスができるうちにとの親心だったのでしょう」と幽雪の心情を推し量る。

この時は、自身の芸力などから「まだ、早い」と見送った。だが、幽雪の死去から10日ほどたった15年1月下旬、同曲に用いる小道具の水桶(みずおけ)が工房から届き、「追善の舞台にかけることに決めた」。幽雪はこの小道具を既に持っていたが、描かれていた波の色が気に入らず、新たに注文していた。「『やれ』と言われたように思えた」

同曲は「みつはぐむ」の歌を主題とするだけに、曲中に度々、水を汲む場面が描かれる。その中でも見どころは、後半の「釣瓶乃(つるべの)懸縄繰り返し」と語る場面。釣瓶の縄をたぐり寄せ、美貌がはかなくも衰えたことを悲しみ、公家の藤原興範(おきのり)に所望されて往時を偲(しの)んで舞った模様を再現する。

「檜垣」を勤める九世片山九郎右衛門の芸名時代の片山幽雪(1990年、渡辺 恭助撮影)

「檜垣」を勤める九世片山九郎右衛門の芸名時代の片山幽雪(1990年、渡辺 恭助撮影)

九郎右衛門は、幽雪の「檜垣」を4度とも地謡(能における斉唱団)を勤めるなどして間近で見た。その舞台は「初めは作り込んで演じていたが、年齢を重ねるにつれて変わった」。例えば、「釣瓶乃懸縄繰り返し」の詞章の後、釣瓶を落として昔を懐かしむくだり。最初は5足下がったが、最後は2足下がって佇(たたず)むだけで、失われた美貌や恋の痛みがにじみ出たという。

幽雪はコツコツと稽古を積み、「こう演じる」と決めるとその通りの舞台を勤めようとした。九郎右衛門にも「こう」を求め、そのやり方に時に反発した。だが、幽雪を亡くすと、全て自ら創り上げていかねばならず、存在のありがたさを改めて思ったという。

「檜垣」を稽古する中で、「父たちが楽々とこなしていたことが、自分になぜできないのか」との思いにとらわれると明かす。そして、自身で十代を数える九郎右衛門家の歴代当主が、芸をつないできた重みを感じている。そうした感慨を想起させるのも、同曲が演者に高い精神性を求める深みのある曲だからだろう。

「檜垣」の舞台はシテ(主役)を九郎右衛門が勤め、後見は観世流宗家の観世清和、地謡は梅若玄祥(人間国宝)と観世銕之丞らで上演する。ワキは宝生欣哉、大鼓は亀井広忠。この2人は幽雪が九郎右衛門に同曲の上演を持ちかけた時、傍らにいて、幽雪が出演を取り付けたという。

ほかに、観世銕之丞が能「恋重荷(こいのおもに)」を上演。九郎右衛門一門の能楽師による連吟「朝長」もある。

(編集委員 小橋弘之)

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