義父母のはずが実の父母 写真不在に隠された難病の痕
立川笑二

師匠と兄弟子の吉笑とともにリレー形式で連載させていただいているまくら投げ企画。28周目。
今回の師匠からのお題は「危なかったけど、助かった」。

私は高校を卒業するころまで、自分が養子であると思い込んでいた。
家にいるのは義父と義母であり、両親は全く別のところにいて、なんらかの事情があって預けられているのではないかと考えていたのだ。
私がそう考えていた一番の理由は、私が生まれてから1歳までの期間の写真が1枚もなかったからである。
1つ年上の兄も、3つ年下の弟も生まれてすぐのころからの写真がたくさんあり、大量のアルバムに収められているのだが、私だけ2歳ころからの写真しかないのである。
このことに最初に疑問に持ったのが、小学6年生くらいのころだった。父に「なぜ、僕の生まれたばかりのころの写真がないのか」とたずねると
「知らない」
と答えられ、母からは
「気のせいだ」
と言われた。「気のせいのはずがない。実際に1枚もないじゃないか」と抗議を続けると、とうとう母から
「大人になったら教えてあげる」
という言葉が出てきたのだ。
はい、養子決定! 俺の本当の両親は、この人たちではないのだな。前々からおかしいと思うことはあったんだ。兄弟の中で俺だけ運動能力が低く、俺だけが太っている。同じような物を食べて暮らしているのに、この差は何なんだと思っていたんだ。いつの日か本当の両親が誰なのか、教えられる日が来るのだろう。慈悲深い義父母に、あまり迷惑をかけてはいけないな。
そう思った私は、この出来事があった時期から急激に、良い子になった。というか、それまでが度の過ぎた問題児であったため、ごくごく普通なまともな子になり、反抗期という時期はそれ以降、全くなかった。
それから月日は流れ、高校の卒業式を前日に迎えた夜。卒業後、芸人になるために沖縄を出ることが決まっていた私は、母に「俺の、本当の両親は誰なのか?」と聞いてみた。
今回はその時に知らされたお話。28投目。えいっ!
正直なところ、その時期の私にとっては、本当の両親なんてどうでも良いと思えるようになっていた。
生みの親より育ての親の方が恩人なのだ。血のつながりのない私を、義父母は他の兄弟と同じように扱ってくれていた。芸人として成功した場合、恩を返すのは、私をここまで育ててくれたこの人たちなのだと、心から思えるようになっていた。
もっと正確に記すと、そんなことすら考えない、義父母を両親だと思っていた。
それでも、自分の生みの親がどういう人で、どのような経緯があってこの家で育てられることになったのかは知っておきたかった。なので私は高校の卒業式の前夜、母に対して
「俺の本当の親は誰なのか?」
と聞いてみた。すると母はキョトンとしながら
「お父さんと、お母さんに決まってるじゃない」
と答えるではないか。
「育ててもらったのは本当にありがたいと思っているけど、沖縄を出る前に、自分の生みの親のことを教えてほしい」
と頼むも、母は笑いながら
「私が産んだ」
と言うばかりだ。しびれを切らした私が「じゃあ、なんで俺だけ赤ちゃんだったころの写真がないんだ。おかしいじゃないか」と詰め寄ると、母は
「あぁ、あのことね。まぁ、そろそろ教えても良いかな。実はね」
と私が赤ん坊だったころの写真がない理由を教えてくれた。
生まれてすぐに分かったことらしいが、私は左足の太ももに増殖性血管腫という、驚くほどの奇病ではないが、それなりに珍しい病を発症していたらしい。赤ちゃんにしても泣き過ぎるし、左足が異様に黒く、熱を持っていたために精密検査をした結果、それがわかったという。
通常なら放射線での治療になるそうだが、生まれたばかりの子どもにはリスクが高すぎるということもあり、投薬で血管の増殖の進行を止めるという治療方針になったらしい。
もし、それでも進行が止まらなかった場合は足を切断するしか方法はなく、大学病院で慎重に経過を見守っていると、どうにかその進行を止めることに成功し、現在の五体満足の私があるという。
ただ、薬の副作用で当時の私の顔はパンパンに膨れ上がり、全身が毛むくじゃらになっていたことから、母はわが子が可哀想に思えて、写真を撮ることができなかったという。
まさかそんな事情があったなんて、夢にも思わなかった。お義母さんは、お母さんだったのか!
ちなみに、私はその幼いころに患った病気の影響で小学校を卒業するころまで、少しだけ歩き方がおかしく、直立姿勢がきれいにできなかったらしい。しかしそれも、成長するにしたがって直っていくものだと分かっていたため、不安にさせないよう、私には教えないでいたという。
「それなら、まともになってきた中学時代になぜそのことを教えてくれなかったのか」
と尋ねると、
「まさか、自分の息子から義理の母と思われてるとは、夢にも思わないじゃないの」
と返されてしまった。なるほどそれもそうかもしれない。
そんなことなら中学生のころ、良い子のふりをせず、もっと思いっきり反抗しておけば良かったなとも思うが、今の母の立場になって考えると、自分の息子が大人になったとき、人並みに飛んだり跳ねたり走ったりできるよう、1年近く続く闘病に付き添ったにもかかわらず、大人になった息子は落語家という基本的に座っているだけの仕事をしているのだから、今がとてつもない反抗期なのかもしれない。
ちなみに、今回の記事を書くにあたって改めて母に電話で当時の症状の確認をしていると、母いわく
「そういえばその血管腫は進行が止まってるだけで、根絶されてないからね。進行が再開する可能性は低いらしいけど、もし異常を感じたらすぐに病院に行きなさいね」
とのこと。
だから、そういうのもっと先に教えてよ!
危なかったけど、助かった。今のところ。
(次回10月1日は立川吉笑さんの予定です)

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