重いイチローの言葉 伝え聞き心震わせた元同僚
スポーツライター 丹羽政善
その選手の名前は、意外な人の口から漏れた。
話は、昨年のシーズン最終戦にまでさかのぼる。試合後、「今のチームの課題は何か」と聞かれたイチローは「どうなんだろうね。いろんなことがこの2週間で見えました」と語り、続けた。
「ホセのこと(9月25日未明、ボート事故で死亡)があって以降、いろんなことが見えたし、この終わってしまった(プレーオフ出場の望みが絶たれた)何日間でも見えてますよね」
■「AJは一番好きになった選手かも」
イチローには何が見えたのか。具体的には語らずじまいだったが、続けて彼は一人の名を挙げた。
「AJ・ラモスは地味ですけど、彼は最後まできっちりやりましたよね。あの感触は初めてじゃないですかねえ。ここに来てもちろんですが、そういうのはAJだけだったし、ニューヨークにはベテランにいたと思うんですけど、AJはいいですねえ。僕の見た感性と価値観で言うと、ということですが。AJは一番好きになった選手かもしれないですねえ」
2009年のドラフトでマーリンズに指名されたラモスは、12年にメジャー昇格。その後、順調に実績を残し、イチローがマーリンズに加入した15年の途中からクローザーを任されると32セーブをマーク。そして、イチローが好きになったという16年は40セーブをあげた。
もちろん、イチローが言っているのは成績のことではない。年間通して、どう試合に向けて準備をしていたのか。悲劇が起き、多くの選手が野球に集中できなくなる中、どう振る舞ったのか。そこがイチローの目には、ラモスは「最後まできっちりやった」と映ったようだ。
ただ、代打を主な役割とする選手とクローザー。試合の途中から出場する、という点では共通するが、準備の仕方も違えば、試合中はベンチとブルペンと居場所も違う。
どこで、どう接点があったのか。
今年のキャンプが始まってから、ラモスに聞いてみようと思ったが、そのラモスがなかなかつかまらない。言葉を交わせたとしてもあいさつ程度。シーズンに入っても同様で、彼には試合前のしっかりとしたルーティンがあって、実に忙しく、クラブハウスに寄ったとしても滞在時間が短い。ただ、その時点で少し、イチローの言ったことがわかったような気がした。
そんなラモスと、ゆっくり話ができたのは7月終わりのことである。
7月28日、彼はメッツにトレードされると、翌29日の夜、遠征先であるシアトルでチームに合流。翌朝、珍しくクラブハウスにいた。まだ顔を合わせていないチームメートやスタッフへのあいさつを順番にこなし、相変わらず忙しそうだったが、だからこそ、つかまえられたともいえる。バタバタしていて、ルーティン通りの準備ができなかったのである。
落ち着いたころを見計らって声をかけようと思っていたら、視線に気づいたのか、向こうから声をかけてくれた。
「よう!」
実は数日前、テキサスでマーリンズ戦を取材したときにも顔を合わせていた。そのとき、こんなことがあった。
3-0の八回、ジャンカルロ・スタントンがその日2本目の本塁打を放った。4-0となったことで九回にラモスがマウンドに登ったときには、セーブがつかない状況になっていた。すると試合後、メディアがスタントンを囲んで話を聞いているときにラモスも加わって、こう聞いた。
「なんでせっかくのセーブ機会だったのに、ホームランを打って4点差にしちゃうんだよ」
もちろん冗談だったが、普段はなかなか素を見せようとしないスタントンが破顔し、貴重な横顔に触れられた。
話をシアトルでの再会に戻すと、「急なことで慌ただしかったのでは?」と聞いたとき、「まあ、噂はずっとあったから覚悟していた」とラモスは話し、苦笑した。
「でも、マイアミからシアトルまで来なきゃいけなかったから、移動が大変だったかな」
マイアミからシアトルまでは、直行便に乗っても6時間半はかかる。28日の夕方にトレードの通告を受け、翌日には荷物をまとめて飛行機に乗ると、着いたのは夜。よりによってマイアミから一番遠いところへの移動を迫られた。
■「そんなことを言っていたのか…」
その後、さらに雑談を交わしてから、ようやく例のイチローのコメントを伝える。
するとその瞬間、彼は柔和なまなざしを返し、トレードなどで張り詰めていた表情が穏やかになるのがわかった。
「イチローが、そんなことを言っていたのか……」
その先の言葉がすぐに見つからず、「彼にそう言ってもらえて正直、うれしいよ」と継ぐのが精いっぱい。まさか、という思いもあったのかもしれない。接点については、やはり首をひねった。
「いつ、見ていたんだろう。僕も試合前にルーティンがあって、彼にももちろんあって。でも、ポジションも違うから、一緒になる時間はほとんどないし……」
思案顔になったが、やがてほほを緩めながらつぶやいた。
「そうか、見ていたんだ……」
正直、ラモスの反応は意外なもの。ゆっくりと、本当にゆっくりと、表情から険しさが取れていった。同時にイチローの言葉がもたらす重みが、そこに透けた。
なお、移籍後のラモスはメッツでも着実にセーブを積み上げ、16日(日本時間17日)現在、3年連続30セーブにあと3つと迫っている。
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