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もっと関西 生き別れ親子すがった石 迷子しるべ石(時の回廊)

京都市

「親たちは、迷子石に抱きつかんばかりにして、舐(な)めるように、一枚一枚、張り出された紙を読んでいる」 宮部みゆき「まひごのしるべ」より

紙張り情報交換

誓願寺の門前に立つ迷子みちしるへ石(京都市中京区)

江戸後期から明治中期にかけて、全国の寺社や橋のたもとなど人通りの多い所に石標「迷子石」「迷子しるべ石」が設置された。掲示板の一種で、片面に「たづぬる方(かた)」、もう片面に「をしゆる方」などと刻まれ、迷子を捜す親と保護した人が子供の名前や特徴を記した紙を張って情報を交換した。関西発祥とみられ、現存最古のものが北野天満宮(京都市上京区)にひっそりと立っている。

近世、都市の発展と共に迷子は大きな問題となり、幕府は対応を町の住民に委ねた。生き別れをなくそうと東北から九州まで各地で篤志家らが建てたのが迷子しるべ石で、災害の慰霊碑を兼ねた例もあった。

天理大の斉藤純教授(民俗学)によると、現存するうち製作年代が明らかなのは再建を含め全国に23例、記録だけ残るものが9例。年代不詳や模造品かもしれないものを合計すると40例ほどを数える。多いのは江戸で十数例あり、湯島天神や浅草寺などに現存する。

利用実態は不詳だが、明治時代の東京ガイドには所在地が記載され、市民生活に不可欠な存在だったことがうかがえるという。

斉藤教授は「時代や地域によって使われ方が違った」と話す。古いものは「奇縁氷人(きえんひょうじん)石」などと呼ばれる。「氷人」とは仲人のことで中国の故事にちなむ。迷子のほか結婚相手探しや乳母の求人などにも使われ、算術の問題を張って解を求めた例もあったそうだ。

芝居と関連か

茶室の庭で緑に囲まれる奇縁氷人石(京都市上京区の北野天満宮)

最も古い記録は大坂に関する随筆「摂陽奇観」。文政4年(1821年)11月、大坂の3社寺に奇縁氷人石が設置されたとあるが、現存しない。次に古いのが北野天満宮のもので同5年正月の銘がある。

この年の春、大坂で初演された芝居に氷人石が登場する。暴漢から助けてくれた男性の行方を女性が捜すのに使う筋書きで、台本作者の一人は摂陽奇観の筆者。石標設置は初演に向けた話題作りだったのかもしれない。斉藤教授は「いずれにせよ文人が慈善事業としゃれっ気を兼ねて建てたのだろう。ネーミングに遊び心がある」と話す。

幕末になると江戸の各所に建立され、「まよい子のしるべ」など直截(ちょくせつ)的な名で呼ばれるようになった。新京極通りに面した誓願寺(京都市中京区)の門前にある明治15年(1882年)の石標には「迷子みちしるへ」と刻んである。

明治以降、迷子の保護は警察や養育院が担い、新聞に尋ね人の欄が載るようになった。それでも迷子しるべ石は新造され、長崎や岡山には警察や市役所が建てたものが残る。「終戦ごろまで様々な情報交換に使われたようだ」と斉藤教授。現在のインターネットに通じる、市民同士をつなぐメディアの元祖といえよう。

文 大阪・文化担当 竹内義治

写真 淡嶋健人

 《ガイド》北野天満宮の奇縁氷人(きえんひょうじん)石は境内の茶室、松向軒の庭にあり垣根越しに見ることができる。関西にはほかに京都市の八坂神社の南楼門近くに「神燈(しんとう)」と刻まれた灯籠型の迷子しるべ石、堺市の菅原神社に奇縁氷人石、神戸市の湊八幡神社に「まよい子のしるべ」石などが残る。
 《読書》短編小説「まひごのしるべ」は「幻色江戸ごよみ」(宮部みゆき著、新潮文庫)に収録。

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