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ドーピング違反に刑事罰導入は是か非か

編集委員 北川和徳

わが国で初めてのドーピング防止法が次の臨時国会でようやく成立する見通しだ。欧米各国ではアスリートのドーピング違反を国の法律によって処罰する動きが広がっているが、日本では刑事罰の導入は見送られた。海外からトップアスリートが大挙して来日する2020年東京五輪・パラリンピックに向けては、ドーピング摘発のために必要な個人情報などを各国のアンチ・ドーピング組織や司法、税関などと連携、共有できるようにして対応する構えだ。

「ドーピング=犯罪」というイメージを持つ人も多いが、ドーピングとの闘いは主に民間が担っている。国家が「違法行為」と定め、刑事罰の対象としなければドーピングは不正な行為であっても犯罪とはならない。そもそも本来は趣味や娯楽であったスポーツにおけるルール違反を、公権力によって摘発することはなじまないとする考え方もある。

陸上の世界選手権男子100メートルで優勝したガトリン。過去に2度のドーピング違反を犯しており、会場からブーイングを浴びた=共同

国際オリンピック委員会(IOC)も世界反ドーピング機関(WADA)も、その傘下にある各国の反ドーピング組織、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)もすべて民間組織。トップアスリートの居場所情報をアスリートの自己申告によって管理し、抜き打ち検査、競技会検査を実施して違反者を摘発、選手としての資格停止などの処分を下している。検査で陽性とならなくても、居場所情報で嘘をついたり検査を拒否したりするだけで処分の対象となる。

組織的な不正にどう対応?

だが、ドーピングがアスリート個人の行為でとどまっていればこうした従来のやり方で取り締まりが可能だが、コーチなど支援スタッフや医師、薬物の密売者らが組織的に関与するものとなれば捜査権のない民間では手に余る。一昨年にはロシアの国家ぐるみと疑われる大量のドーピング違反も発覚した。こうなると犯罪として対処するのが妥当だろう。組織的な不正の摘発には、家宅捜索や身柄拘束など公権力を行使した強制力を伴う犯罪捜査の手法が威力を発揮する。それには刑罰化が不可欠。それが現在、世界的にドーピングに刑事罰を科す動きが進んでいる背景にある。

11年前のトリノ五輪では、オーストリアのクロスカントリーとバイアスロンの選手に対する抜き打ち検査を実施する際に、ドーピングが違法であるイタリアの捜査当局が同行、宿舎の家宅捜索も実施して注射器や薬品を押収した事件も起きている。当時よりドーピングの手口はさらに組織化、巧妙化し、新しい薬物も次々と登場している。3年後に五輪を控える日本も法整備を含めた対応を急ぐ必要がある。

日本初のドーピング防止法案は今月下旬にも召集される臨時国会に提出される見込みだ。超党派のスポーツ議連による議員立法で、審議が始まれば可決は確実である。ただ、ドーピングを「違法」とはしても、刑罰・捜査など強力な公権力の行使については、法律施行後の検討事項とされた。

当初は刑事罰の導入も視野にあったが、日本では当面は必要ないとする結論に落ち着いた。07年度から16年度までの10年間に発覚した国内のアスリートによるドーピング違反は計68件。世界的な比較では少ないが、うっかりではない意図的なドーピングも数例はある。ただ、すべてアスリート自身が禁止薬物を体内に入れてしまった自己ドーピングで、第三者が介在した組織的なドーピングが疑われたケースはない。

ドーピングに刑事罰が科せられる各国でも、その狙いはアスリートへの処罰強化よりむしろ背後にいる人物や組織の摘発にある。アスリートへは資格停止の処分で抑止効果は十分と考えられており、自己ドーピングを刑事罰の対象から外している国もある。

つまり、日本ではドーピングに刑罰という国民の権利を侵害する制裁を科してまで保護を目指すべき社会的な利益(保護法益)が明確でない、ということになる。スポーツ庁の今泉柔剛国際課長は「医療関係者が関与したドーピング違反などが発覚すれば日本でも刑事罰を導入する方向で議論が進むかもしれないが、前例がない現状ではその方向にない」と説明する。

刑事罰の導入が見送られたことで、日本で初めて施行されるドーピング防止法は、政府が主導して関係者が一丸となってドーピング撲滅を目指す努力目標としての意味が強くなった。法律の施行によって、20年大会に向けた課題である検査員の育成・確保、新技術の研究開発などは国の責務として進むことになる。

国内アスリートの対策としてはこれで足りていると個人的には思う。ただ、世界のトップアスリートが集結する20年大会に向けて十分かどうかはわからない。

「必ず発覚」事前に世界へ示そう

刑事罰が導入されたとしても、五輪やパラリンピックで来日したアスリートを日本の捜査当局がドーピングの疑いで身柄拘束する事態などは現実には考えにくいのだが、特定のアスリート、チームに関する違反情報があっても、トリノ五輪のときのイタリアのような家宅捜索による証拠集めもできない。組織的になって巧妙化が進むドーピングへの抑止力は働くだろうか。

「汚れた大会」にしないためには、「日本ではドーピングは必ず発覚する」と事前に世界に知らしめることが重要だ。最も効果的なのは、わずかな痕跡でも見逃さない精度の高い新たな検査手法の確立だろう。

ドーピング防止法によって、行政機関とJADA、日本スポーツ振興センター(JSC)とで必要な個人情報の共有に道が開ける。さらに海外の反ドーピング組織だけでなく、捜査当局や税関からの情報提供も受けられるようにするという。

20年大会のかなり前から日本が中心になって世界的に疑いの持たれる選手をリストアップして摘発活動を強化、本大会でのドーピングを封じ込めなければならない。3年後の五輪・パラリンピックを「クリーンな大会」とするためのハードルはとても高い。

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