ビスポークスーツ、「技」継承へ分業体制
オーダースーツの銀座英国屋(下)

ノーベル賞の受賞者が発表される10月初旬、東京・銀座の高級スーツ店「銀座英国屋」を運営する英国屋(東京・中央)は、「特にニュースに気を使う時期」(小谷邦夫副社長)を迎える。このところ日本人の受賞が続き、12月の授賞式に合わせて急きょ、晩さん会用の燕尾(えんび)服の注文を受けることもあるからだ。ただし、顧客と対話を重ね、「匠(たくみ)」の技でその人だけの1着を完成させるという点は、いつものビスポーク(オーダーメード)と変わりない。
前回掲載「74歳『匠』が伝える100%オーダーメード」もあわせてお読みください。
ノーベル賞、11月の「秋の叙勲」と続くと、すぐにお歳暮シーズン。「英国屋のギフト券を取引先などに配りたい」と、約半世紀前に言い出したのは出光興産の創業者、故出光佐三氏だったという。また、ある地方銀行の頭取は、上場を決めた取引先の経営者に、お祝いとして英国屋のギフト券を贈るのを常としていたという。「仕事に没頭するだけでなく、身なりにも気を付けて」という思いからだ。「あくまでもビジネスの現場で身に着けてもらうことを基本とした高級スーツが我々の立ち位置」と小谷副社長は強調する。
「政財界要人の御用達」といったイメージが強い英国屋だが、顧客層は幅広い。例えば、囲碁・将棋のプロ棋士。文字通り「勝負服」として、スーツにこだわるプロは少なくない。将棋の青野照市九段は40年ほど前、まだ20歳代のころから同社を利用している。「素材だけなら他の有名店でもいいものが手に入る。しかし、肩から胸にかけての着具合がどこか違う。職人の思いが見える気がする」と話す。
10年後には全工程を手がけられる職人がいなくなる
ただ、フルオーダーメードの全ての工程を1人で手がけられる職人は減り続けており、多くが60歳以上だ。「10年後にはほとんどいなくなる」ともささやかれる。

英国屋では他社を退職した職人を中途採用するなどしているが、年間約7000着、年商約20億円の事業規模を維持・拡大していくには、本店のほど近くにある直営工房だけでは追いつかない。
このため、縫製加工子会社のエイワ(埼玉県北本市)の「英国屋工房」では工程を区分して、それぞれをグループで分担して生産する「グループ縫製システム」を導入している。
店頭での採寸、型紙作製、仮縫いを終えた生地を縫製してスーツに仕立て上げる「本縫い」がエイワの役割。完成までの工程を全部で6つに分けた。
まず、上着は「前」「中」「後」「見返し」の4工程とした。

「前」工程では裏地となる生地を裁断、シルエットづくりやポケットづくりなどを担当する。上着の前身ごろの内側に使う芯地「毛芯(けじん)」でフォルムを形成し、形崩れを防ぐ。英国屋で使うスーツ生地は9割以上が海外産だが、毛芯は岐阜県のメーカーが生産する天然ウール品を使っているという。
「中」工程ではアイロンを使って生地を立体的に仕上げる「くせ取り」などを手掛ける。
「後」工程は上着の肩縫い、襟付け、袖付けという技術的に最も難しい部分。手作業で進めることで体になじむ着心地の良いスーツができあがるという。
「見返し」工程は上着の身ごろの内側にあたる「見返し」の作製を担当する。内ポケットの場所など、顧客の注文が最も多い部分だ。以前は従来型携帯電話(ガラケー)専用ポケットの希望が多かったが、現在は減少しているという。
ズボンの工程は「前」「後」の2つに分けた。「前」工程はポケットやベルトループなどのパーツを作製。「後」工程ではパーツを縫製して、全体を組み立てる。とりわけ動きの大きい腰や股の部分はハイレベルの技術が必要だ。

パートを含め約100人の従業員がこれら全ての工程を分担する。うち5割が女性といい、平均年齢は約40歳と、本社工房より約20歳若い。上着の「前」工程で裁断した裏地のアイロン掛けの担当者はまだ入社3年目の20歳代前半だ。「各工程に経験豊富な技術者を1、2人配置して作業工程を管理している」。エイワの水沼貴裕工場長はこう説明する。
「ただ専門工程に特化してもオーダーメードだから一枚一枚作業は微妙に違ってくる」(水沼工場長)。あるパートの習熟度が進んだ段階でほかの作業も担当させて、全体としての技術レベルの向上をはかっている。
現在、研究に取り組んでいるのがこうした工程のマニュアル化だ。職人それぞれの独自の経験を誰にでも分かるように一般化する作業となるため、極めて難しいが「マニュアル化することで工程全体を見直し省力化がはかれる」(水沼工場長)としており、将来の人工知能(AI)導入も視野に入れている。

スーツにはさまざまな決まり事がある
人の第一印象は最初の数秒で決まるといわれる。「誰にどう見られたいか」はビジネスでも大切なポイントだ。それだけに、スーツにはさまざまな決まり事がある。
例えば、総丈は頸椎(けいつい)から踵(かかと)までの2分の1、靴下は膝下まであるロングホーズソックス、ワイシャツはスーツの袖から1.5センチメートル出す――などなど。
しかし、英国屋の小谷副社長は「『絶対』はつくらない方がいい」と話す。高温多湿の日本と欧州では気候が違う。汗だくで上着を着ているより「服装で相手に不快な思いをさせないのが大切」というのだ。
小谷副社長は初めてフルオーダーでスーツをつくる顧客には、紺色の生地を薦めるという。「ビジネスシーンで自らを主張しすぎす、仕立て自体のよしあしが見えやすいのが紺色。日本人の黒い髪とも色の相性がいい」(小谷副社長)という。その時々の流行には惑わされず、世界で活躍するビジネスパーソンにふさわしいスーツを仕立てる。それが英国屋のポリシーなのだという。
(松本治人)
前回掲載「74歳『匠』が伝える100%オーダーメード」では、半世紀のキャリアを持つ英国屋の最高技術者に聞きました。
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