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「意見の下剋上」伝統脈々 「五綿八社」の興亡(3)
軌跡

2017/9/13 17:00
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従業員の士気を鼓舞した初代伊藤忠兵衛
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従業員の士気を鼓舞した初代伊藤忠兵衛

 伊藤忠商事丸紅の創業者、初代伊藤忠兵衛は1859年、広島や下関を経由して長崎に着く。初めて外国人や商館、軍艦を見て驚き、海外に目を開く。貿易の重要性を痛感する。

 なぜ江戸ではなく、九州に向かったのか。初代忠兵衛は近江商人としては後発だった。創業家の伊藤豊氏は「江戸は近江商人の先発組に商圏を押さえられていたので、九州に向かったのだろう」とみる。

 長崎行きが、「五綿八社」や総合商社としてグローバルに事業展開する伊藤忠商事、丸紅の原点になった。初代忠兵衛が先発組だったら、両社の歴史は変わっていたかもしれない。

 初代は従業員の意欲をかき立てることに熱心で「立身出世の道と、そのための自助努力を奉公人に説いた」(滋賀大学の宇佐美英機・特別招聘教授)。

 若手の意見を募ろうと社内会議も盛んに開いた。二代忠兵衛の追想によれば「意見の下克上」を大いに奨励した。会議に備えて、皆必死に勉強したという。

経営の近代化を推進した二代伊藤忠兵衛
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経営の近代化を推進した二代伊藤忠兵衛

 「『日本のため』などという狭い視野でものを考えていいのですか」。1974年、伊藤忠商事の新入社員が副社長の発言を聞いて批判した。この新人は現社長の岡藤正広氏。「意見の下克上」の伝統は引き継がれているようだ。

 初代忠兵衛はまた、月に6日も店員とすき焼き鍋を囲んだという。今風に言えば「従業員満足度」を高めようとしたのだろう。商人から近代的な経営者に変わろうとしていた。

 二代忠兵衛はさらに近代化を推進、欧州で仕入れた織物を韓国で売るなど三国間貿易を始めた。1914年には個人経営の組織を改め、伊藤忠合名会社を設立している。

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