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「これも運命かな」 空手家・香川幸允(下)

香川幸允(かがわ・ひでよし)が空手を始めたのは高校入学後の15歳。トップ選手ではかなり遅い方だ。実は小学1年のときに自らの意思で1年ほど道場に通ったが、「何でこんなにしばかれるのか」とギブアップしている。父の政夫は四大流派の一つ、松濤館流の道場で師範を務め、現在は全日本空手道連盟で強化委員長の職にあるほどの人物。だからこそ、無理に息子の手を引くことはしなかったらしい。

師範の父が学生に胴上げされる姿を見たのが空手を再開するきっかけになった

中学卒業までバスケットボールに親しんだ香川だが、空手との接点が切れたわけではない。政夫が帝京大の師範となり、東京・八王子にあった空手部の合宿所に家族で住み込んだからだ。母は寮母だった。まるで相撲部屋のような環境の下、同じ屋根の下で約40人の学生に囲まれて育った。自然と仲良くなり、試合の応援にも頻繁に行った。

「涙もろい性格で負けると選手と一緒になって泣いていた」。そこまで仲間意識が芽生えていたのだから、大会で優勝した父が学生たちに胴上げされる光景に心を動かされないはずがなかった。「絶対にもうやらないと決めていたのに、気づいたら『空手、やろうかな』と言い出していた」

父の勧めで進学したのは強豪の学法福島高校。寮生活を含め、苦しい思い出しかない。香川を含めて10人いた同級生のうち、半分が一度は逃げ出した。香川が逃げなかったのは帰る場所がなかっただけの話。父の鬼の形相が頭に浮かんだら、踏ん張るしかなかった。丼飯3杯がノルマの食事でみるみる大きくなり、「休みは月に1度あるかないか」という練習漬けの日々で力もついた。

代表枠懸け天才肌と一騎打ち

帝京大進学でついに直接指導を受けることになった父は「親子だからあえて厳しくされたと思う。他の部員の10倍怒られた」。ふがいない試合をしたときを思い出すと、「今でも震える」。それでも4年で主将を務めるまで成長。小学生から空手を始めた猛者たちに交じり、大学3年で初めて代表チーム入りした。

大学卒業後は芸能事務所に就職して競技と両立。当初はタレントのマネジャーとして撮影現場にも同行したが、今は競技優先で週2回のデスクワークに減らしてもらっている。この1年ほどは、道場の稽古と別にトレーニングジムで肉体改造にも取り組む。五輪で採用された空手は寸止めとはいえ、実際には中段への蹴りや突きは思い切り当てる。海外勢に当たり負けしない体が必要だ。

33歳目前で迎える東京五輪は狭き門になる。5階級のうち行われるのは3階級だけ。実施階級は決まっていないが、このままなら1階級下の世界王者、荒賀龍太郎と最重量級の代表を争うことになる。天才肌で出世街道を駆け上がってきた相手は、84キロ級世界ランキング1位。かたや香川は84キロ超級の51位。3歳年下を追いかける立場だ。

「できれば違う階級になってほしいけど、これも運命かなと思う」。その顔に覚悟の色がにじむ。父の怒髪天に比べたら恐るるに足らず、である。(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊9月13日掲載〕

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