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桐生、10秒の壁突破 偉業の陰に日本伝統の走法

飛脚の走りや「ナンバ」などヒントに

瀬古利彦、宗兄弟が活躍していたころから、マラソンで世界と戦う基準は42.195キロを「平均時速20キロ」で走りきるかどうか、といわれていた。

対して男子100メートルは「最高時速40キロ」の戦いと表現することができる。スタートから加速し、瞬間的な最高スピードが時速40キロを超え、徐々に減速しながらゴールを迎える。世界記録保持者のウサイン・ボルト(ジャマイカ)は9秒58をマークしたレースで、驚異の最高時速44キロに達していたといわれる。

時速40キロ超えるスピード

日本学生対校陸上100メートル決勝で9秒98をマークし喜ぶ桐生=共同

4年前の織田記念国際、京都・洛南高3年の17歳だった桐生祥秀(東洋大)は10秒01で100メートルを走った。そのレースの桐生は40~50メートル区間で時速41.94キロに達していたことがわかっている。人間が自身の脚で時速40キロを超えるスピードを出せた時点で、9秒台の領域に踏み入る必要条件はまずクリアしていたのだった。

追い風1.8メートルという好条件で9秒98をマークした9月9日の日本学生対校陸上100メートル決勝。桐生がたたき出した最高時速は42キロを超えた。スタートダッシュの良い多田修平(関西学院大)に先行を許すのは想定内だったから、まるで慌てることなく追いかけ、追い抜いた。中間点をすぎて以降、最高スピードに到達している。2着多田が自己ベストを0秒01更新する10秒07。この多田の好タイムがある意味、これ以上ない踏み台となってかけっこ勝負を純粋に楽しんだ桐生に「10秒の壁」を飛び越えさせた。

大学入学後は故障を繰り返してきた桐生が15年3月、米テキサス州でのレースで9秒87(追い風参考)をマークしている。レース映像をみると、桐生陣営が目指している理想の形がわかる。もちろん、3.3メートルの風を背に受けた効果が大きいのだが、やや前傾姿勢で重心を低く平行に保ち「すり足」風に脚を前へ、前へと置いていく。高校時代、ゴムまりがはねるように強く地面をたたいていたパワフルさはスタートダッシュに生かし、トップスピードに達するレース中間からは減速を最小限に抑えていく技術性の高い走りへと移行する。

すり足走法への理解深い指導者

このすり足走法は、バルセロナ五輪400メートルファイナリストの高野進から前100メートル日本記録(10秒00)保持者の伊東浩司、パリ世界陸上200メートル銅メダルの末続慎吾と、東海大出身のスプリンターに受け継がれ、理論も磨き上げたもの。江戸時代の飛脚の走り、手足を左右同時に出す「ナンバ」などに想を得て練習法を編み出し、ともすると浮き上がろうとする体の重心をしっかり押さえつけ、上下のぶれなく前方に移動していく無駄のない動きを追究する。

東洋大で桐生を指導してきた土江寛裕コーチは、早大を出て富士通では伊東の同僚としてともに世界を目指した元スプリンター。すり足走法への理解も深い。体がばらばらになりそうな疾駆中にすり足を表現するにはどこを鍛えておくべきか、体幹の強化法も熟知。ただ、習得の途上段階ではリスクもある。9秒台突入へのプレッシャーや、思うようにスピードに乗れず焦るようなことがあるとたちまちリズムを崩し、手足ばらばらの走りに終わりかねない。そうなると故障とも隣り合わせだ。

東洋大で指導してきた土江コーチ(左)と握手する桐生=共同

1998年12月13日、バンコク・アジア大会の100メートル準決勝で伊東が10秒00を出した瞬間はいまも鮮明に記憶している。速報表示が9秒99と出て、ついに日本人が「10秒の壁」を突破した、と文字通り飛び上がった。まさか100メートル9秒台の日本記録が達成されるまでさらに19年もの年月を要するとは当時思ってもいなかった。

知恵と工夫で足らざる点補う

「10秒の壁」は手ごわかった。というより手ごわいままだ。ボルトのような別格が登場したので9秒台スプリンターは当たり前と思われがちだが、陸上競技史上、桐生はまだ126人目の達成者。ほとんどが人種のルーツをアフリカとする黒人選手で占められ、白人選手は10年に初めて10秒の壁を破ったクリストフ・ルメートル(フランス)ただ一人。巨大な人口を有する中国でも今夏のロンドン世界選手権100メートル8位入賞を果たした蘇炳添だけ。壁突破の価値は計り知れないほど大きい。そして壁を突き破った一押しが、日本に古く伝わる走法の再興というのも興味深い。肉体的不利の克服へ、足らざるところを知恵と工夫で補い、小さな国日本が世界と対峙するという構図はあらゆる世界に共通するのかもしれない。

(電子版スポーツ編集長 串田孝義)

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