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工業化支えた繊維商社 「五綿八社」の興亡(1)
軌跡

2017/9/11 17:00
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近江商人から総合商社へ――。来年創業160周年を迎える伊藤忠商事と丸紅は、その歴史の中間点で「五綿八社」に数えられた。関西の繊維商社の総称で、第2次世界大戦前は紡績会社と二人三脚で日本の近代工業化を推進。戦後は経済復興に貢献した。五綿八社の来歴を追うと日本経済史の輪郭が見えてくる。

初代伊藤忠兵衛の旧邸を公開している伊藤忠兵衛記念館(滋賀県豊郷町)

創業家の伊藤豊氏(前列右から3人目)を囲む伊藤忠の新入社員

□   □

4月21日、滋賀県豊郷町の伊藤忠兵衛記念館。創業家4代目の次男、伊藤豊氏が研修で訪れた伊藤忠の新入社員に語りかけていた。

「大会社に入ったというおごりが出ると、取引先などに嫌われる。節度をもって謙虚に」。伊藤家に伝わる近江商人の心構えだった。

幕末の1858年、15歳の初代伊藤忠兵衛が故郷をたち、大阪などへ麻布の行商に出た。「少しでも遠くに行って売ろうというスピリットが当社の源流にある」と伊藤忠の深野弘行・常務執行役員は話す。初代忠兵衛を共通の祖とする伊藤忠と丸紅はこの年を創業年としている。初代忠兵衛は72年、大阪に店を構えた。

大阪は江戸時代から綿作が盛んだったこともあり、82年に大阪紡績(現東洋紡)が渋沢栄一らによって設立された。近代的な機械を導入した同社の成功で紡績会社が次々と設けられ、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれる繁栄をみせる。綿花の輸入や綿製品の輸出を担ったのが「五綿八社」などの繊維商社だ。

「関西五綿」は伊藤忠、丸紅、日本綿花(現双日)、東洋棉花(現豊田通商)、江商(現兼松)を指す。「船場八社」は五綿より規模が小さく、後に多くが再編淘汰の波にのまれたが、八木商店(現ヤギ)は今も船場で健在だ。

□   □

繊維商社は輸入綿花を安く、安定的に供給しようと世界を駆け回った。インドの奥地まで買い付けに行き、第1次世界大戦の頃になると「日本の紡績会社は集荷市場であるボンベイ(現ムンバイ)より安く綿花を買えるようになった」(神戸大大学院の平野恭平准教授)ほどだ。原料が安くなれば綿製品のコスト競争力も高まるので、商社は輸出でも稼げる。紡績会社と五綿八社は「共存共栄」(平野氏)の関係を築きながら日本の工業化をけん引した。

編集委員 塩田宏之が担当します。

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