熱戦が続いた全米オープンテニスもいよいよ大詰めだ。男子ではアンディ・マリー(英国)やノバク・ジョコビッチ(セルビア)、錦織圭ら世界ランキングトップ10の6選手が欠場する中、目の色を変えたベテランや新鋭の奮闘が光った。日本時間11日の決勝戦では新たな王者が生まれるかもしれない。

伊達のプレーは女子テニスの魅力を体現していた(08年4月、12年ぶりの現役復帰戦)=共同
四大大会の優勝回数で史上1位のロジャー・フェデラー(スイス)、同2位のラファエル・ナダル(スペイン)にジョコビッチ、マリーを加えた「ビッグ4」が並び立つ現在の男子テニスは史上最高のレベルにある、と多くのメディアやファンは言う。けれども歴史や記憶をたどれば、その見解に違和感を覚える。
2003年の全仏からWOWOWテニス中継のキャスターを務めている僕はナダルやフェデラーを若いころから見てきた。たびたびインタビューする機会もあったし、彼らに敬意も抱いている。だが1990年代のピート・サンプラスやアンドレ・アガシは強かった。さかのぼればボリス・ベッカー、イワン・レンドル、ジョン・マッケンロー、ビル・チルデンもそうだ。僕の目にはナダルはビヨン・ボルグ、フェデラーはロッド・レーバー、ジョコビッチはジミー・コナーズと重なって見える。異なる時代の王者の間に優劣はないだろう。
■女子の試合、男子に比べ目立つ空席
男子に負けず、女子テニス界にもスーパースターが君臨してきた。古くはスザンヌ・ランランにヘレン・ウィルズ、マルチナ・ナブラチロワやクリス・エバートを経てシュテフィ・グラフ、モニカ・セレス、ウィリアムズ姉妹らが時代を彩ってきた。しかし近年、女子テニスは旗色が悪い。連日満員の男子にひきかえ、空席が目立つのが現実だ。

7日、有明コロシアムで引退記者会見する伊達
女子スポーツには男子にはない魅力がある。僕は女子サッカーの大ファンなのだが、その理由はめまぐるしく展開する男子よりも女子の方が、チーム戦術や技術を味わえるからだ。かつてはテニスもそうだった。サービスとボレーであっさりポイントが決まってしまう男子に対し、ラリーが続く女子には駆け引きや戦術の妙があった。試合中の喜怒哀楽を見るのも楽しい。感情を出すことには賛否両論があるにしても、サイボーグのような無表情でプレーされるより、よほど面白い。
引退を表明した伊達公子は女子テニスの魅力を体現していた。相手の力を利用したカウンター、ライジングショットに繊細なタッチ。合気道を思わせるテニスを長く堪能させてもらったのは幸せに尽きる。
最近の女子テニスが色あせてしまったのは、こうした選手が減ったことと無関係ではないかもしれない。ウィリアムズ姉妹が登場したころからパワーテニスの色が強まり、いまでは多くの女子選手が男子のような強いボールを打つことばかり考えている。コーチの多くが男性ということも影響しているだろう。しかし皮肉なことに、女子の「男子化」が進めば進むほど、男子との差別化は難しくなる。