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名物女将と谷崎の交流 祇園と文学(2)
軌跡

2017/8/22 17:00
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作家の谷崎潤一郎は「谷崎さん先生」と花街の関係者から呼ばれるほど、祇園で尊ばれたという。本人の随筆などによると、祇園に顔をのぞかせたのは1912年春。京都に先に来ていた作家の長田幹彦と2人で2カ月ほど、京都を遊び歩く中で祇園も巡った。

谷崎潤一郎は第80回「都をどり」で狂言を手掛けた

谷崎潤一郎は第80回「都をどり」で狂言を手掛けた

この時、祇園のお茶屋「大友」の名物女将、磯田多佳に、宿の主人から長田と一緒に紹介されている。以後、折に触れて会い、多佳が得意とした一中節を聴くなどしたらしい。

大友は戦時中の45年、取り壊しになり、多佳は同年5月に京都・南禅寺界隈(かいわい)の転居先で死去した。谷崎は岡山県内に疎開していた。戦後、京都に住まいを構えると、47年に「磯田多佳女のこと」を刊行。「平時なら(中略)直ぐ飛んで行くところであつた……」と、多佳とのつながりの深さを記している。

谷崎は祇園甲部の芸舞妓(まいこ)による春の舞踊公演「都をどり」を愛した。友人の歌人、吉井勇に頼まれ、第80回都をどりで狂言を手掛けるなどした。

京舞井上流の先代家元、井上八千代の芸も評価した。八千代が57年、日本芸術院会員に任命されると、「お祝いのしるしです」と「ほととぎす」と題した唄を贈っている。

この唄の別題は「花散里」で、源氏物語に題材を得ている。八千代はこの唄の振りを考え、舞を見せに南禅寺界隈の谷崎の自宅を訪ねた。谷崎は「大変結構」と言いつつ、「車をおりないで、車の中で過ぎし日をしのぶ具合にやってほしい」と注文を付けたという。

先代の孫で当代の井上八千代は「車の中という設定でどう舞うかと、先代は困ったようです」と話す。先代は再考に10年近くかかり、65年に振り付け直した舞を見せた。谷崎はこの約2カ月後に死去した。(敬称略)

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