父と慕うコーチが教えた規律 J・フェルナンデス(中)
フィギュアスケート選手

2017/8/27 6:30
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トロントの冬は寒い。マドリードっ子のハビエル・フェルナンデスは自宅から徒歩10分のリンクに行くのさえつらい。「へい、乗ってけ」。練習開始時間が同じ日はコーチのブライアン・オーサーが車で拾ってくれる。

オーサーはコーチであり、「カナダの父」だ。トロントに来て7年目、友達に恵まれ、英語を不自由なく操り、料理、洗濯、旅の手配、健康管理などを一人でこなせるようになったのもオーサーのおかげだ。リンクが国全体で20もないスペインの青年に「王者になれる」と自信がついたのも。

選手個人のリズムを理解したコーチ陣の計画に従って練習すると、試合前に不安にならないという

選手個人のリズムを理解したコーチ陣の計画に従って練習すると、試合前に不安にならないという

フェルナンデスは6歳の時、両親らにリンクに連れて行かれ、スケートに出合った。サッカーなど様々なスポーツをしていたが、「人生が変わった」。といってもスケートは趣味にすぎず、エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)に憧れたのも「彼が時々スペインで練習していたのもあるけれど、テレビで見た唯一のスケーターだったから」。

そんな環境でも才能を伸ばし、2007年の世界選手権に初出場(35位)。そこで10年バンクーバー五輪で金メダルを取る金妍児(キム・ヨナ、韓国)と、そのコーチだったオーサーに紹介されている。だが当時は「2人が何者か知らなかった。ウブすぎるでしょ」とフェルナンデス。

08年夏、スペインでスケート教室を開いたニコライ・モロゾフにスカウトされた。安藤美姫、織田信成、アダム・リッポン(米国)らトップ選手と日常的に練習する空間は刺激に満ちていた。半面、ロシア、ラトビア、イタリアとめまぐるしく練習場所が変わるのはきつかった。「ニコライは初めて僕を認めてくれた人」と今も感謝する。だが、この師は次々と新しい選手を引き受ける。指導に不満も募った。

11年夏、モロゾフから離れると、スペインスケート連盟を通じてオーサーから誘いがきた。「ひと夏おいで。気に入ったら残ればいい」。夏のトロントは快適だし、人々は親切ですぐ気に入った。しかし6カ月後、オーサーの雷が落ちた。

「ハビ、練習で100%出してないだろ。まずは遅刻するな」

フェルナンデスは当初、怒られる理由が分からなかった。スペインでは選手向けの専門的な指導を受けたことがなく、モロゾフに師事した頃は20分程度の遅刻は問題なかった。しかし、オーサーがいるクラブにリンクは1つ、トップ選手も使える時間は限られる。また、時間厳守には短時間で集中する習慣を身につける意味もあった。

厳しくても、「ブライアンたちは選手一人ひとり違って当然と分かってくれる」とフェルナンデス。コーチ陣は選手個人のリズムを理解して練習計画を立てている。それに従えば試合前も不安にならず、結果も自信もつき、信頼も生まれた。「練習への姿勢が根本から変わった。今じゃオフに街に出るのもせいぜい月1回」と胸を張る。

「まだプッシュしないといけない時はあるけどね」と言いながら、オーサーも自律しつつあるまな弟子に、今は敬意を払っている。(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊8月22日掲載〕

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