2019年2月17日(日)

傍流で培った独学の精神と独立心 中田崇志(下)

2017/8/20 6:30
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競技者として傍流に身を置いてきたからこそのたくましさがある。その遍歴から、中田崇志の強烈な個性が浮き上がってくる。

小学生時代は水泳を習いつつ、クラブ活動ではミニバスケットボールをした。中学でもバスケットを続けたが、仙台から東京に転校後、水泳と陸上にくら替えし、陸上では都大会の1500メートルで6位に入った。

押しの強い中田らしさが色濃く出るのは進学校の都立西高に進んでからだ。1年の秋に陸上部の主将になり、いかに強くなるかを考えた末、駅伝の強豪、国学院久我山高の練習に加えてもらった。合宿にも参加していたというから、ずぶとい。都の選抜合宿に呼ばれると、各校の指導者に練習方法を尋ねて回った。

中田(左)は市民ランナーとのロードレースを鍛錬の場に選んだ

中田(左)は市民ランナーとのロードレースを鍛錬の場に選んだ

久我山通いは高校2年の秋にやめている。「久我山の選手と練習していても、彼らを超えられない」と思い至り、今度は亜細亜大の練習に通った。その姿勢の根幹にあるのは独学の精神と独立心だ。中田がトップ選手だったわけではないが、倣うべきものがそこにある。亜細亜大でもまれ、高校3年の南関東大会で1500メートルの決勝に進んだ。「インターハイには進めなかったけれど、自分の成長の過程を楽しめた」

東京学芸大でも陸上部に入ったが、厳しさが足りないことに嫌気が差し、早々と5月に退部した。だが、競技から離れたわけではない。後に復部して関東インカレで入賞するという目標を立て、独自で練習を積んだ。鍛錬の場として選んだのが市民ランナーが集うロードレースで、年間の出場数は40を数えた。この強化手法はマラソンの川内優輝に通じる。さらにいえば、生きざまも重なる。

4年になって復部すると関東インカレに出場。「一つの大会を目指して3年を費やし、一発勝負に賭けた」。そのしぶとさが実り、3000メートル障害で4位となり、入賞という目標を達成した。全日本インカレでも7位に入っている。

20年見据え、新たな取り組みも

NTTデータに入社するとNTT関東の陸上部に誘われ、全日本実業団選手権の3000メートル障害で7位につけた。だが、全日本実業団駅伝を最後に在籍1年足らずで退部。2003年にランニングと自転車で競うデュアスロンを始め、同時に視覚障がい者の伴走を務めてきた。練習は仕事を終えてから深夜にこなすことが多いが、1500メートルは高校3年から現在まで3分台で走る力を保っている。

中田にはプランの設計力がある。新たな取り組みとして伴走者のグループをつくった。通常、伴走者は特定の選手の専属になっているため、大会前に伴走者が体調を崩すと代わる者がいない。それで涙をのむ選手がいる。問題解決のため伴走者と視覚障がい者がグループで活動し、代わりが利くようにする。「みんなに力を出し切ってもらいたいから」。もちろん20年の東京パラリンピックを見据えている。(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊8月16日掲載〕

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