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熱線で溶けた瓶や瓦 広島の河原、眠る遺物
研究員「無念、伝え続ける」

2017/8/3 2:00
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広島市の原爆ドーム近くの川で15年にわたり、被爆時の高熱で形を変えた瓦やガラス瓶を拾う広島大研究員の活動に光が当たり始めた。取り組みの原点は「遺物を通じて声なき犠牲者の無念さを感じてほしい」との思い。集めた遺物は千点を超える。一部は国内外の学校や博物館に提供され、原爆の威力のすさまじさと、恐怖にさらされた人々の惨禍を伝えている。

被爆した遺物を探す広島大の嘉陽さん(7月26日、広島市中区の元安川)

被爆した遺物を探す広島大の嘉陽さん(7月26日、広島市中区の元安川)

7月下旬の夕暮れ。原爆ドームが見下ろす元安川の河原で、嘉陽礼文さん(39)は泥にまみれたレンガや瓦、ガラスなどの破片を拾い上げていた。一片が黒ずむレンガに目を凝らし「原爆の熱線で溶けた痕跡ではないか」。15年前から毎月ここに足を運ぶ。この日は原爆が投下されたころのものとみられる約20点を採取した。

北海道や東京で暮らした嘉陽さんが、初めて広島を訪れたのは中学2年の修学旅行。平和学習の一環で、原爆の熱線で重度のやけどを負った語り部の故・山岡ミチコさんの話を聴いた。熱心に耳を傾ける嘉陽さんに、山岡さんは「爆風で吹き飛んだ物が、今も元安川にたくさん残されている。祈りながら探してみなさい」とささやいた。

自由時間に友人と河原を訪れると、熱線で溶けてひとかたまりになった一升瓶を見つけた。「人間が同じ熱線を浴びれば、一瞬で死んでしまうだろう」。手にした遺物が訴えかける多くの人々の死に思いをはせるうち、「もう一度広島を訪れ、犠牲者が残した証しを1つでも多く探し出したい」と痛切に感じた。

10年後の2002年に広島大に入学。現在は同大学大学院で解剖学を学ぶ。

元安川の管理者である国の許可を得て、多いときには週5日、水かさが少ない時間帯を選び川に足を運び続けてきた。川底の遺物が流れで掘り起こされることも多く、発見が相次ぐ。13年に水中で見つけた石の塊は原爆ドームの窓枠の一部と判明し、被爆の状況を知る貴重な資料として大学がクレーンで引き上げた。

被爆者が元安川の砂利などを埋め込んで作った陶器「平成の原爆焼」(広島大医学部医学資料館)

被爆者が元安川の砂利などを埋め込んで作った陶器「平成の原爆焼」(広島大医学部医学資料館)

「原爆投下時の遺物を、平和教育の題材として受け取ってほしい」。原爆被害の凄惨さを広く伝えようと、教育機関や博物館に手紙を出し、承諾を得られた団体に提供する。今では海外の57の大学などが、原爆の高熱で表面の溶けた瓦を展示。見学者から「核兵器の真実の恐ろしさが伝わる」といった声が嘉陽さんに寄せられる。

今夏、元安川などの砂利を埋め込んだ陶器「平成の原爆焼」を被爆者に作ってもらう取り組みも始めた。1950年ごろ、復興資金確保のために爆心地近くの土を混ぜて作ったとされる「原爆焼」に着想を得た。「語ることができない痛ましい記憶を陶器に込めてほしい」と呼び掛け、市内の養護施設に入所する被爆者11人が焼いた器を、7月から広島大で展示している。

「被爆者の声を、生涯をかけて伝え続ける」――。中2のとき胸に刻んだその信念に、揺るぎはない。

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