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備わった五輪への覚悟 スピードスケート高木美帆(中)

平昌五輪
2017/7/16 6:30
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 ふとしたときに4季前のソチ五輪シーズンのことを思い出す。スピードスケートの高木美帆が、今でも脳裏に焼き付いているのが春先から始まった五輪代表候補選手の合同合宿だ。「みんな何でこんなに一生懸命頑張っているんだろう……」。一本一本にかける思いが伝わる周囲の練習への姿勢、ガラリと変わった空気。五輪シーズン特有の緊張感を肌で感じ、ただただ圧倒された。

今でもソチ五輪シーズンを思い出しては「うぬぼれてはいけない」と自戒する

今でもソチ五輪シーズンを思い出しては「うぬぼれてはいけない」と自戒する

 北海道幕別町出身。兄や姉の影響で5歳からスケートを始めた。早熟な滑りで小学生の頃には一部関係者の間で知られる存在となった。一躍その名を全国にとどろかせたのが、15歳で出場した2009年12月のバンクーバー五輪代表選考会。中学3年生がいきなり女子1500メートルで優勝するなど3種目で代表入り、さっそうと現れたシンデレラガールに世間は沸き立った。

 年が明けて五輪本番は惨敗に終わったが、このまま長足の進歩で日本スケート界をけん引していくかと思われた。ただ、五輪後は国内で目立った実績は残せず、世界ジュニア選手権で2連覇したものの、世界のトップははるか遠かった。14年ソチ五輪までの4年間は「大げさにいえば、思春期特有の、一生懸命頑張ることに抵抗を感じる自分がいた。なんだかんだで(ワールドカップなど)3年間は代表に選ばれ、『どうにかなる』みたいなところがあった」と自省する。

ソチ五輪落選で「自分変える」

 迎えた13年12月のソチ五輪代表選考会。現実は甘くなく、代表から落選した。「悔しくて、情けないという思い。何回泣いたか覚えていない」と悲嘆に暮れた。重圧とは無縁のままバンクーバー五輪に行ったことで、慢心があったのかもしれない。スケート人生で初めての挫折だった。だが、本人によれば挫折ではないという。「私のとらえ方が間違っているかもしれないけど、一生懸命これ以上なすすべないくらいやって、それでもダメだったのが挫折と思う。そのときの自分はまだまだ一生懸命やっていなかった。やっていないんだったら、やるしかないじゃんと思った」

 「何か変わらなければいけない」――。周囲から勧められても新しいスケート靴に替えることを拒んできた頑固者が、ソチ五輪後すぐに2足新調した。それまで道具は提供品などで賄ってきたが、今は自費で妥協せずに選ぶほどこだわりを持つ。ストレッチや体のケア用品も、周囲から紹介されればまず試してみる。体づくりについても、この春に自ら依頼し、栄養サポート契約する明治から日々の食事などの指導を受ける体制をとり、体調管理により気を配るようになった。

 臆することなく、貪欲に挑戦し続ける日々。4年前とは比べものにならないほど、スケート、五輪に対して覚悟が備わった高木がいる。昨季は飛躍を遂げたが、ソチ五輪シーズンのことを思い出すたびに、「うぬぼれてはいけない」と自らに言い聞かせる。失意のソチ五輪落選がなかったら、「今の自分はいない」と言い切れる。

(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊7月11日掲載〕

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