広島・大瀬良 救援での傷心糧に4年目の飛躍
編集委員 篠山正幸
先発に復帰した広島・大瀬良大地(26)が、大器の本領を発揮し始めた。おおらかな人柄が、投球の詰めの甘さにつながっていたようにもみえたが、今季は違う。2年にわたる中継ぎでの試練が生きたのだろうか。

九州共立大時代に日本代表に選ばれ、アマチュア球界屈指の右腕として2013年のドラフトでは広島のほかヤクルト、阪神が1位指名。その声価に違わず、14年、1完封を含む10勝(8敗)を挙げて新人王に輝いた。
だが、15年、16年はともに3勝どまり。不幸だったのは15年シーズンの序盤だった。先発でスタートしながら、開幕から9試合で1勝6敗とつまずいた。9回1失点での完投負けなどもあり、決して出来が悪かったわけではない。だが、勝ち星が伸びないとどうしても投手はへたってくる。交流戦の途中に中継ぎへの配置転換となり、これ以降、先発をすることは一度もなかった。
昨季も先発は1度だけ。登板自体が17試合にとどまった。2軍暮らしも味わった。そもそも、大瀬良の資質、投手としての器からすると、少々勝ち星に恵まれなくても、先発一本で育てるべきでは、と思われた。首脳陣の判断には首をかしげざるをえないものがあった。
■敗戦の責、1人で負い
この救援の体験は大きな傷を残した。15年のシーズン最終戦、クライマックスシリーズ(CS)進出をかけた中日との大一番で、0-0で迎えた八回に登板し、3失点で敗戦投手になった。七回まで無失点の前田健太(現ドジャース)の好投を無にし、大瀬良はベンチで涙を流した。この黒星でチームは阪神に0.5ゲーム差及ばず4位となり、CS進出を逃したのだった。
その責任を一身に背負ったかのようだった大瀬良。最終的に69勝71敗3引き分けと負け越しに終わったシーズン、しかも、どちらかというと貧打で負けることが多かった1年のなかで、救援投手が責めを負うべき理由はなかった。しかし当然ながら、大瀬良の立場ではそういう考え方ができるはずもなかった。
当人しかわからないことではあるが、16年の不振も身体的、技術的な問題というよりは心理的な負傷の影響の方が大きかったのではないか、とも思われる。
投手陣の柱だった黒田博樹の引退もあり、今季は当初から先発一本で行くことが早い段階で決まった。といっても、そこは一からの競争だ。
■キャンプ初日に見えた今季への決意
キャンプ初日の2月1日、並々ならぬ決意を感じさせる大瀬良の姿がブルペンにあった。50~60球で終わろうと思っていたという投球にどんどん熱が入り、115球に達した。
「投げすぎですね。あそこまで投げるつもりはなかったけれど、バランスが崩れていたのでカーブを投げたりして、調整した」と話した。
「僕はアピールして(先発の座を)勝ち取っていかなければならない立場なので」。昨季、リーグ優勝したチームの輪に入り切れたとはいえなかった。その悔しさが伝わってくるキャンプのスタートだった。
振り返って考えると、中継ぎへのポジション変更は無駄ではなかったのかもしれない。

6月25日、2位阪神を5ゲーム差に突き放した7回無失点の好投は粘りの勝利だった。
8安打を打たれ、再三ピンチを招いたが、五回2死二、三塁、七回2死一、二塁をしのぐ。「粘って(7回を)投げ切れたのは収穫だし、自信になるだろう。いい球の確率が上がっている」と緒方孝市監督も、4年目の変化を感じ取ったようだった。ここまで、負けなしの5勝。チームの貯金作りに貢献している。
試合中は得点差を考えず、何点まではやっていいという計算はしないようにしているという。「僕はそういうふうに考えるとダメなタイプらしいんで、(どんな点差でも)1点もやらないつもりで投げないと」
気持ちの上げ下げができるほど器用ではないと自覚し、内心としては常に全力投球。これは1回、2回という短いイニングを一分のすきもみせずに抑えなくてはいけない、中継ぎでの体験で得たものなのかもしれない。
大器と呼ぶにふさわしいおおらかさはそのままに「1点」への執着心がより強まったようにもみえる。ほろ苦い経験も、醸造酒のタネのように大瀬良のなかでじわじわと発酵し、先発投手としての成熟を促しているのではないか。エースになれるか、候補で終わるか。大事な1年になりそうだ。