米ヤフー自壊、孫正義氏の後悔

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2017/6/15 6:30
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米ネット大手ヤフーが表舞台から姿を消した。13日、米ベライゾン・コミュニケーションズが中核事業の買収手続きを完了。1990年代後半のインターネット黎明(れいめい)期には代表的な存在だった米ヤフーは創業から23年で退場する。グーグルなど新興勢に取って代わられたとの評価が多いが、内実を探れば「自壊」に至る3つの誤算があった。

「思いがけず親友を亡くした時の心情は計り知れない。衝撃、不信、拒絶――。様々な思いが駆け巡りました」

■グーグル検索 侮る

日本のヤフーを成功に導いた孫正義ソフトバンクグループ社長(左)と故・井上雅博ヤフー前社長=2006年

日本のヤフーを成功に導いた孫正義ソフトバンクグループ社長(左)と故・井上雅博ヤフー前社長=2006年

12日、都内のホテルで、ヤフー共同創業者のジェリー・ヤン氏は盟友の遺影に語りかけた。井上雅博氏。ソフトバンクグループ孫正義社長の右腕としてヤフー日本設立を主導した人物だ。4月に米カリフォルニア州で参加したクラシックカーレースで事故死していた。

ヤフーとヤン氏の物語はソフトバンクの存在抜きには語れない。95年、まだ従業員が5~6人のヤフーを「発見」した孫氏がシリコンバレーに乗り込んだ。生まれたばかりのインターネットに入り口を作る。そこに集まる膨大なデータを手に入れる。孫氏は「素晴らしい発想だと思った」と、即断で出資を決めた。

そこからヤフーのシンデレラストーリーが始まる。孫氏が出資に際して企業価値を200億円と見積もった際は「あまりに過剰」と言われたが、わずか数年で10兆円を突破した。孫氏に送り込まれた井上氏とヤン氏が意気投合し、96年に日本でもヤフーのサービスを始めた。ヤフーは瞬く間に日米でインターネットの代名詞となった。

だが、孫氏には不安があった。実はヤン氏と「ひとつだけ意見が違った」と言う。検索エンジンに対する見方だ。ヤン氏はサイトの善しあしは人間の目で判断する必要があると主張。検索エンジンはいずれコモディティー化すると見ていた。98年にグーグルが誕生しても「下請けで使えばいい」と断言していたという。

ヤン氏は社内で「ヤフーはローテクでいいんだ」と公言していた。孫氏は「その時点でこれはヤバいなと思った」と話すが後の祭りだ。ヤフーは2000年にグーグルの検索エンジンを採用するが、同社の急成長ぶりに慌てて自社製に切り替える。ヤフーの迷走の始まりだ。ヤフー日本の第1号社員でグーグル日本法人代表も務めた有馬誠氏は「グーグルにひさしを貸して母屋を取られた」と振り返る。

■幻のイーベイ合併

第2の誤算が「調べる」という機能への固執。つまり、検索以外のサービスを育てられなかった。

この点でも孫氏には後悔がある。実は99年から00年にかけてネットオークションの米イーベイとヤフーの合併を模索した。覚書まで調印したが本契約の直前で折り合わず、一転して白紙となったため知られていない。狙いはもちろんオークションサービスの拡充だ。「あの時にイーベイとくっついていれば、ヤフーはもっと強くなれたのだが」。孫氏にとっても大きな誤算だったと言う。

ただ、孫氏は幻の合併の教訓を日本で生かした。イーベイがNECと提携して日本に上陸するとヤフー日本は徹底抗戦した。「イーベイが日本から撤退するまでヤフオクの手数料を無料にする」と宣言。実際に2年でイーベイを追いやった。

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