為末大氏「世の中の認識変わる出来事起こしたい」
サッカー元日本代表・岩政大樹が聞く

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2017/6/6 6:30
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J1鹿島アントラーズで数々のタイトル獲得に貢献した元日本代表CBの岩政大樹(35)が今季は関東社会人リーグ1部の東京ユナイテッドでプレーしている。と同時に引退後の道を定めるため、各界の第一人者のもとに足を運んで見聞を広げている。今回は陸上の男子400メートルハードルで3度、五輪に出場した為末大さん(39)と語り合った。

岩政 陸上にのめり込んだのは中学生のときですか。

為末 水泳と体操をやってみて、うまくいかなかったので陸上を始めました。足はすごく速くて、これなら楽しいぞと思って続けました。

岩政 最初から五輪をイメージしていましたか。

為末氏(左)と対談し、岩政は「僕と考え方が似ている」と感じた

為末氏(左)と対談し、岩政は「僕と考え方が似ている」と感じた

為末 五輪に出たいと言っていましたが、ぼんやりイメージしていただけです。中学3年のときに200メートルの日本中学記録を出したので、このままいけば五輪に行けるのではないかと……。

岩政 僕もJリーガーになると言っていたかもしれません。でも、山口県選抜どまりの選手で「全国」を知らなかったので、具体的なイメージは描けませんでした。為末さんがハードルに転向したのは大学からですか。

為末 そうです。高校まではスプリント種目でした。僕は早熟な選手で、中学時代に思っていたよりすごいところまでいってしまいました。ところが、高校ではタイムが伸びなくて、ライバルにどんどん逆転されたわけです。3年間、一生懸命やったのに、これではこの先は明るくないな、でもハードルだったら何とかなるんじゃないかと考えました。転向したときの気持ちは複雑でした。

生き残るため戦略的に

岩政 ハードルを始めたのはスプリント種目では勝負できないと考えたからなのですね。

為末 生き残るための戦略的な理由です。スプリント種目で無謀な勝負をするのではなく、勝てるかもしれないハードルを選びました。これまでの人生の一番大きな意思決定はハードルを選んだときです。あのとき、戦略的な理由でハードルを選んだところに僕の性格が表れています。いまでもハードルに愛着はありますが、好きなのは100メートルです。陸上の花形ですから。

岩政 ハードルに転向したときに、どこまでいけると思っていたのですか。

為末 18歳の8月に世界ジュニア選手権に出場し、400メートルで4位でした。そのとき、すべての種目を見て、100メートル、200メートルではどう頑張っても勝てないと感じました。こんな速いんだと驚きました。その中で400メートルハードルだけが洗練の度合いが低くて、運動会っぽさがありました。それを見て、ハードルだったら勝負できるんじゃないかと思いました。あの大会に出ていなかったら、100メートルにしがみついていたかもしれません。いまの自分はないでしょうね。

岩政 僕は2003年にユニバーシアードに出場したけれど、大学生だけの大会なので「世界」はイメージできませんでした。20代の後半に日本代表に選ばれても定着できず、世界のトップを肌感覚で知らないまま、いまに至っています。「まだいける」と自分を信じ込むのは大切ですが、徐々に現実が見えてきます。為末さんはいかがでしたか。

為末 自分の伸びる余地はあると考えて、いろいろ工夫しましたが、そのうち手が尽きてきました。それが26歳のころで、世界とのタイム差が0.6~0.7秒ありました。ハードルなしの400メートルと400メートルハードルのタイム差が3秒以内だと「ハードリングがうまい」といわれます。僕はその差が1.8秒だったので、これ以上、うまくなるのは難しいんじゃないかと思いました。しかし、何もしないで終わりたくないので、1年間、ハードルは休み、スピードを上げてタイムを縮めようとしました。それもうまくいきませんでした。

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