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為末大氏「世の中の認識変わる出来事起こしたい」

サッカー元日本代表・岩政大樹が聞く

 J1鹿島アントラーズで数々のタイトル獲得に貢献した元日本代表CBの岩政大樹(35)が今季は関東社会人リーグ1部の東京ユナイテッドでプレーしている。と同時に引退後の道を定めるため、各界の第一人者のもとに足を運んで見聞を広げている。今回は陸上の男子400メートルハードルで3度、五輪に出場した為末大さん(39)と語り合った。

岩政 陸上にのめり込んだのは中学生のときですか。

為末 水泳と体操をやってみて、うまくいかなかったので陸上を始めました。足はすごく速くて、これなら楽しいぞと思って続けました。

岩政 最初から五輪をイメージしていましたか。

為末氏(左)と対談し、岩政は「僕と考え方が似ている」と感じた

為末 五輪に出たいと言っていましたが、ぼんやりイメージしていただけです。中学3年のときに200メートルの日本中学記録を出したので、このままいけば五輪に行けるのではないかと……。

岩政 僕もJリーガーになると言っていたかもしれません。でも、山口県選抜どまりの選手で「全国」を知らなかったので、具体的なイメージは描けませんでした。為末さんがハードルに転向したのは大学からですか。

為末 そうです。高校まではスプリント種目でした。僕は早熟な選手で、中学時代に思っていたよりすごいところまでいってしまいました。ところが、高校ではタイムが伸びなくて、ライバルにどんどん逆転されたわけです。3年間、一生懸命やったのに、これではこの先は明るくないな、でもハードルだったら何とかなるんじゃないかと考えました。転向したときの気持ちは複雑でした。

生き残るため戦略的に

岩政 ハードルを始めたのはスプリント種目では勝負できないと考えたからなのですね。

為末 生き残るための戦略的な理由です。スプリント種目で無謀な勝負をするのではなく、勝てるかもしれないハードルを選びました。これまでの人生の一番大きな意思決定はハードルを選んだときです。あのとき、戦略的な理由でハードルを選んだところに僕の性格が表れています。いまでもハードルに愛着はありますが、好きなのは100メートルです。陸上の花形ですから。

岩政 ハードルに転向したときに、どこまでいけると思っていたのですか。

為末 18歳の8月に世界ジュニア選手権に出場し、400メートルで4位でした。そのとき、すべての種目を見て、100メートル、200メートルではどう頑張っても勝てないと感じました。こんな速いんだと驚きました。その中で400メートルハードルだけが洗練の度合いが低くて、運動会っぽさがありました。それを見て、ハードルだったら勝負できるんじゃないかと思いました。あの大会に出ていなかったら、100メートルにしがみついていたかもしれません。いまの自分はないでしょうね。

岩政 僕は2003年にユニバーシアードに出場したけれど、大学生だけの大会なので「世界」はイメージできませんでした。20代の後半に日本代表に選ばれても定着できず、世界のトップを肌感覚で知らないまま、いまに至っています。「まだいける」と自分を信じ込むのは大切ですが、徐々に現実が見えてきます。為末さんはいかがでしたか。

為末 自分の伸びる余地はあると考えて、いろいろ工夫しましたが、そのうち手が尽きてきました。それが26歳のころで、世界とのタイム差が0.6~0.7秒ありました。ハードルなしの400メートルと400メートルハードルのタイム差が3秒以内だと「ハードリングがうまい」といわれます。僕はその差が1.8秒だったので、これ以上、うまくなるのは難しいんじゃないかと思いました。しかし、何もしないで終わりたくないので、1年間、ハードルは休み、スピードを上げてタイムを縮めようとしました。それもうまくいきませんでした。

岩政 そうやって続けていたのはなぜなのでしょう。世界一になること以外の価値観を見いだしたのでしょうか。

為末 自分がどこまでいけるのか見てみたいという思いがありました。もう少しスケールの大きな走りにして、ハードル間の歩数を縮められないかと考えました。5台目まで13歩、次の2台を14歩、最後の3台を15歩で走っていたのを、全体で2歩縮められたら0.4~0.5秒縮まる計算です。最高速度を上げるというより、200メートルからのスピードの落ちをなるべく食い止めるという考え方でしたが、結局、うまくいきませんでした。

自分にしか思いつかぬ工夫

「自分にしか思いつかないようなことを考えるのが好き」と為末氏

岩政 転向するに際して、ハードルは戦略的なことを考えて、いろいろ工夫する余地があるものだとわかっていたのですか。

為末 当初はわかりませんでした。それはともかく、僕は自分にしか思いつかないようなことを考えるのが好きなんです。子どものころ、ポートボールをやりましたか? ポートボールにはボールを持って歩いてはいけないというルールがあります。そこで僕は肩車をして、上になった者がボールを持ち、下の者が歩いたら反則ではないだろうと考えて、やってみたことがあります。先生に怒られましたが、そういう工夫が楽しいんです。

岩政 サッカーの練習でミニゲームをするときに、監督は「ワンタッチで」とか「ドリブルはなし」とかルールを決めます。でも、何もルールを言わないときもあります。そのとき、オフサイドは反則だと思ってプレーする選手がいるけれど、僕はオフサイドのポジションに残ってパスをもらいます。監督が何も言っていないのだからいいでしょと。そんなふうに人と違う考え方をするのが好きです。ところで、陸上の選手は自分と戦っているのですか、人と戦っているのですか。

為末 人それぞれですが、僕は常にレースで1番になりたいと考えていました。タイムではなく着順にこだわります。他の7人がみんな転んで僕が1番になったとしても、それでいいんです。

岩政 他の選手がないもので勝負しようと考えていたわけですか。

為末 そもそも「速い」「強い」「でかい」では勝負できない。分析して工夫するとか、「うまい」という領域で勝負しました。

岩政 もしかして、天邪鬼ですか。

為末 そういう部分はあると思います。僕は周りに「やられた」と思わせることに興味があります。マインドセットと呼んでいるのですが、世の中の認識が変わるような出来事を起こしたいと、いつも考えています。世の中の認識が変われば、行動が変わり、結果が変わると思います。だから、マインドセットが変わる瞬間をつくりたい。僕自身、野球の野茂英雄さんがメジャーリーグで活躍したときにマインドセットが変わりました。

岩政 サッカーではかつて中田英寿さんがイタリアで活躍し、いまならイタリアのトップクラブでプレーしている本田圭佑や長友佑都がそうですよね。日本人でもあそこまでいけるんだと思わせました。引退後、ビジネスの面でいろいろ誘いがあると思うのですが、やる、やらないの線引きはどうしているのですか。

為末 ある政治家の方に「一つ軸を持ち、それをもとに決断すれば、うまくいかなくなったときに踏ん張れる」とアドバイスされました。やましい思いがあって始めたことは、何かあったときに踏ん張れません。僕は世の中のマインドセットを変える、社会を元気にするという考えを軸に決断しています。岩政さんも大きな決断をしなければならない局面を迎えます。

岩政 その局面を先延ばししたいから、こうやっていろいろ話を聞いているのかもしれません。ずっと勝負の世界にいるので、「いつまで勝った負けたをやっているんだ」と考えてしまう瞬間があります。勝ったらうれしいし、負けたらすごく悔しいのですが、しばらくすると「だから何なんだ」と冷めてきます。

為末 あまり勝ち負けが好きなタイプではないのかもしれませんね。勝ち負けが好きな人は、何のために勝ちたいのかなんて考えません。純粋に勝ちたいだけです。もちろん、それが悪いわけではありません。

「自分じゃなきゃできないものをやりたい」と岩政は語る

岩政 勝つことで多くの人を喜ばせることができるし、世の中をよくしているという感覚があります。勝ち負けがないと面白くありません。でも、「人生の最後まで勝った負けたを続けるんだろうか?」と疑問が湧いてきます。タイリーグでプレーしていたときに、タイの人たちは単にその場が楽しいからスタジアムに来ているんだと感じました。「人生とは」を考えさせられました。その答えはぼんやりとしたままです。でもやっぱり勝ち負けの世界にいたいと思ったら、監督を目指します。

為末 ほとんどのアスリートが、商店街の入り口にある店のTシャツを「これだ」と思って選んでしまったと思うんです。商店街の奥まで見ていない。他の職業と比較することなく、アスリートとして生きていこうと決めているのではないでしょうか。僕もそうでした。ほかにも、自分に合った仕事があるかもしれないとは考えませんでした。初恋の人と結婚したようなものです。岩政さんはいま、他の店の話を聞いているわけです。

岩政 いずれ人生の勝負をするときがきます。そのときに、これだったら勝負できるというものを選びたい。しかも、「岩政じゃなきゃできない」というものをやりたいんです。それがサッカーなのかどうかを確認中です。

為末 それだったら、触ってみたほうがいいですよ。手を出して実際にやってみると、意外な才能が見つかるかもしれません。僕も芥川賞を取れるのだったら小説を書きますが、無理なのでしていないだけです。

「夢かなえてどうしたい?」

岩政 あるところで「夢を持つ必要はないんじゃないか」という話をしたら、大きな反響がありました。

為末 僕は子どもに「夢は何ですか」と聞いたあとに、「夢をかなえて、どうしたいんですか」と付け加えています。サッカー選手になりたいという子どもに「選手になったら、こうんなふうにしたい」と考えてほしいのです。そこが大事なところではないでしょうか。

岩政 大事なのは、きょうよりあす、あすよりあさってと自分を高めていくことだと思います。目標が見えた方が自分を高めやすいから、「夢を持とう」というのではないでしょうか。僕は夢を持たなくても、自分を高められたので問題ありませんでした。だから、「夢を抱いていないことが悪いことではない」「無理に夢を持たなくてもいいんじゃないか」という話をしました。何かを一つ一つ積み上げていけば、いずれ夢が見えてくるはずです。

為末 おもちゃやゲームや家電製品の説明書を読みますか。

岩政 大事なところだけを読んで、あとはやりながらという感じです。

為末 僕は説明書を読まずに失敗し、失敗しながら学習していくタイプです。引退後にいきなり事業を始めるのではなく、こういう対談をしていればよかったと、いま思いました。

岩政 僕はいま、説明書を読んでいる段階なんですね。

<対談を終えて>…人と違う方法で自分の型築く
 為末さんと僕は考え方が似ていると思う。為末さんは100メートル、200メートルでは世界で勝負できないと悟ったところから、ハードラーとしてのキャリアを築いてきた。勝負できるものとして400メートルハードルという立ち位置を見つけ、試行錯誤し、人とは違ったやり方で自分のスタイルを築いた。かなり理屈っぽいが、理屈を考えることでポジションを上げてきたのだと思う。その点に共感している。
 僕もサッカーの世界で、どうやったら生き残れるかを考えてきた。特に30歳を過ぎてから、いろいろ考えるようになった。これなら勝負できるというものを頭の中でつくり出してきた。力勝負ではなく、隙間をみつけて勝負するようになった。
 為末さんの引退後の生き方は現役時代のスタイルと変わっていないように感じた。失敗もしていると話していたが、よく考え抜いてキャリアを築いている。
 僕もいずれサッカー選手をやめるときがくる。しかし、サッカー選手であるいまと、引退後の人生は別のものとは思っていない。サッカー以外の仕事をするかもしれないが、引退の前後は切り離せるものではない。仕事が変わるだけで、転職と変わらない。だから、引退を人生の大事件ととらえることのない自分でいたいと思っている。

為末大(ためすえ・だい) 1978年5月3日、広島市生まれ。法政大から大阪ガスを経て、2004年にプロ選手になる。01年、05年の世界陸上選手権男子400メートルハードルで銅メダルを獲得した。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。12年ロンドン五輪出場を逃し、引退した。スポーツ関連事業などを手掛ける「株式会社 侍」の代表取締役。著書に「負けを生かす技術」「諦める力」などがある。

岩政大樹(いわまさ・だいき) 1982年1月30日、山口県生まれ。東京学芸大学から2004年に鹿島入り。屈強なCBとして10年間プレーし、07年からのリーグ3連覇などに貢献。ベストイレブンに3度輝く。08年、日本代表に初選出され、10年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会のメンバー入り。14年はタイのテロ・サーサナ、15年から2年間、J2岡山でプレー。今年はJリーグを目指す関東社会人1部リーグの東京ユナイテッドに所属する。J1通算290試合、J2通算82試合。

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