2019年2月17日(日)

タカタの巨大リコール 「教訓」置き去り

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2017/5/22 2:00
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世界で累計1億台近い車がリコール(回収・無償修理)となるタカタ製エアバッグ問題。特定の火薬の材料が長く高温多湿にさらされて、水分が浸入すると、作動時に破裂して金属片が飛び散る恐れがある。自動車メーカーが交換を急ぎ、巨額の潜在的な債務を抱えるタカタの経営再建の議論が進む。だが消費者にとって最も大事な安全、業界全体で巨大リコールの再発をどう防ぐかという"教訓"は置き去りのままだ。

決算発表するタカタの野村洋一郎取締役(中)

決算発表するタカタの野村洋一郎取締役(中)

■シェアの高さ裏目に

「弊社が製造した(火薬材料の)硝酸アンモニウムを搭載したエアバッグの事故で亡くなった方、けがをした方に心からおわび申し上げます」。東京証券取引所で10日に開かれたタカタの決算説明会で、野村洋一郎取締役は謝罪した。タカタ製エアバッグの異常破裂によるリコールはホンダ車で2008年に始まり、今秋で9年がたつ。事故の死者は16年までに米国だけで11人に上る。

日米の運輸当局は異常破裂の恐れがある火薬の材料「硝酸アンモニウム」を使い、水分による劣化を防ぐ乾燥剤が入っていないエアバッグの全量のリコールを決めた。タカタは1987年に日本初のエアバッグ搭載車を共同で開発したホンダを始め、トヨタ自動車、米ゼネラル・モーターズ(GM)、独BMWなど日米欧の自動車メーカー15社以上に供給している。

世界シェア2割のタカタ製エアバッグのリコール台数は累計1億台規模になり、費用総額は1兆3千億円以上に膨らむ。解決にかかる期間の長さ、規模ともに異例で「自動車産業史に残る事件だ」(日系自動車メーカー幹部)という。背景にはタカタの安全部品のシェアの高さ、火薬を使うエアバッグの特殊性、専門性の高い欠陥部品への運輸当局や自動車業界の備えの不足もある。

■シートベルト、二代目で結実

タカタは1933年に高田武三氏が滋賀県彦根市で、繊維メーカーとして創業した。琵琶湖の豊かな水でもともと紡績業が盛んな地で、パラシュートの材料などを製造していた。自動車部品を造る転機は米国だった。武三氏は戦後、米国で視察した空軍基地でパイロットが乗る車のシートベルトを目にする。当時の米空軍は朝鮮戦争で亡くなる戦闘機のパイロットよりも、自動車事故で命を失うパイロットが多く、シートベルトを装着するようになっていた。

だが当時の日本の自動車生産台数は4万台規模で、彦根市内を走る車は100台に満たない。それでも武三氏は「国が発展すれば日本の車が増え、交通事故が増える。命を守る安全ベルトは必ず必要になる」と考え、日本で他社に先駆けてシートベルトの研究開発を始めた。61年に東京の赤坂プリンスホテルで日本初のシートベルトの発表会を開くが、1本2400円以上と大卒初任給の2割前後の価格で、在庫の山になった。

二代目社長の故・高田重一郎氏がエアバッグ事業を確立した

二代目社長の故・高田重一郎氏がエアバッグ事業を確立した

そこで2代目の高田重一郎氏はホンダ創業者の本田宗一郎氏に「人間の安全性も考えてほしい」と直談判し、設計段階から参加してシートベルトを搭載したホンダ車が発売となった。経済成長と共に消費者の安全への意識も高まり、シートベルトの生産は拡大。その後、チャイルドシート、エアバッグ関連、エアベルトなどを先行して開発し、同業も買収してタカタのエアバッグとシートベルトの世界シェアは約2割を占め「世界規模での調達に欠かせない優良サプライヤーだった」(自動車メーカー幹部)。

■異常爆発、想定外だった?

しかしエアバッグの異常破裂で暗転する。タカタは2000年ごろ、エアバッグを膨らませるガス発生装置の火薬原料に硝酸アンモニウムを使い始めた。爆発力が強く、エアバッグ部品を小型にしやすく、作動しないリスクも小さい。だが07年ごろから米国のホンダ車でタカタ製エアバッグの破裂が起き、09年には死者が出た。成形圧力の不足など製造工程での不備でリコールするが、製造ミスのない製品でも不具合が起き、原因不明のままリコールが拡大していった。

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