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がん治療・解体新書(4) 善玉の子は善玉

がん細胞の転移の元凶とされるエクソソーム。内包したマイクロRNAが「死のメッセージ」を送り正常な細胞を死滅させ、がん転移の足場となるくぼみや穴をつくる。しかし、ここに来てそんな「悪玉」とは別に「善玉」のエクソソームがいることが分かってきた。

三重大学大学院医学系研究科教授の珠玖洋氏

2016年5月、オランダのロッテルダム――。近年、生物学分野で最も注目度が高い学会の一つである「国際細胞外小胞学会(ISEV)2016」で、話題をさらった日本人研究者たちがいる。三重大学大学院医学系研究科の珠玖(しく)洋教授と、瀬尾尚宏特任講師だ。

衆目を集めたのは2人の発表。「外敵を攻撃する免疫の主役『T細胞』が生むエクソソームが、がんの転移を抑えている」という新事実が細胞の専門家たちを驚愕(きょうがく)させた。

転移の兆候見られず

「エクソソームはがん転移の元凶でなかったのか」――。発表を終えた珠玖氏を会場で話を聞いていた研究者たちは驚きの表情で迎え「次から次に質問攻めにした」。

エクソソームは、がん細胞から生まれるが、正常細胞も出す。国立がん研究センターの落谷孝広氏らが中心となって進めるのがエクソソーム悪玉説。これに対して2人の研究は「T細胞から生まれたエクソソームは善玉だ」との主張だ。

その根拠となっているのが15年に発見した事実だ。転移性の高いがん細胞をマウスの皮膚に移植し、そこにT細胞から取ったエクソソームを振りかけてみたところ、がんが移植した場所の周辺に広がる「浸潤」がゼロだった。つまりがんの転移の兆候が見られなかったのだ。

これに対してT細胞が生んだエクソソームを振りかけなかったマウスは50%が浸潤した。予想もしなかった結果に珠玖氏自身も最初は信じられなかった。「実験手段に誤りがあったのではないか」と疑ったほどだという。

さらにマウスをしばらく放置、観察し「転移」が起きるかどうか調べたところ、エクソソームを振りかけたマウスでは、肺への転移が1カ所確認されただけだった。善玉のエクソソームを振りかけなかったマウスは肺に8カ所、転移が認められたのとは決定的な差だった。

「これは間違いなどではない。T細胞のエクソソームが何か大きく作用している」

2人はこの前提でT細胞由来の善玉エクソソームとがん細胞との関係を調べた。すると面白い事実が判明した。善玉エクソソームは、がん細胞本体を直接攻撃せず、がん細胞の周辺にある「間葉系幹細胞」を破壊していたのだ。

間葉系幹細胞はがん細胞のそばにいて、がん細胞を活性化させる役割を果たす。たんぱく質などをがん細胞に送ったり、刺激したりしながらがん細胞をサポートするのが役割だ。がんに栄養を補給するため、新しい血管を引き寄せたり、がん細胞の増殖スイッチを押したりする。もちろん、がんの転移にも関わる。

「善玉のエクソソームはこの間葉系幹細胞を死滅させ、がんの活性化を抑えているのではないか」と珠玖氏は見る。実際、エクソソームに含まれる何千種類ものマイクロRNAを調べてみたところ、間葉系幹細胞を死滅させる作用を持つマイクロRNAが、2種類見つかった。

善玉エクソソームの正体はこの2種類のマイクロRNAだったと言える。T細胞が生んだエクソソームにはこの間葉系幹細胞を死滅させるマイクロRNAが含まれているのだ。

世界初の臨床試験へ

現在、珠玖氏はこの成果を活用し、がん転移の抑制に役立てる計画を立てている。間葉系幹細胞を死滅させる2種類のマイクロRNAを含むエクソソームを直接患者に注射して、転移を予防するという世界初の臨床試験に挑む計画だ。

エクソソームは人工的につくれないが、T細胞を培養すれば、そこからエクソソームを多量に獲得することは可能だ。第三者のT細胞で培養したエクソソームを別人に投与しても効果を発揮することも動物実験などを通じてすでに確認済みだ。

ただ、T細胞を培養して生まれたエクソソームがすべて善玉であるわけではない。間葉系幹細胞を死滅させる2種類のマイクロRNAがそのエクソソームのカプセルの中に入っていなければ意味がない。

どうやっていれるか、だ。マイクロRNAを後からエクソソームに組み込めないかトライしたが、うまくいかない。

試行錯誤でたどり着いたのが遺伝子治療技術の応用だ。遺伝子の運び屋となる「ウイルスベクター」を用いて、培養するT細胞に遺伝子を入れ、強制的に目的のマイクロRNAをたくさん作らせるのだ。

「これなら手法も確立されているため成功する可能性は高い」

計画中の臨床試験では、こうして作ったエクソソームを、患者のがん組織または静脈に注射する。一定期間、転移を抑制するか否かを調べる考えだ。

現在、試験費用獲得のためAMED(日本医療研究開発機構)のプロジェクトに応募している。研究は基礎研究に終わらせず、治療にも応用するのが珠玖氏の信念だ。3年以内に試験を開始する予定だという。その挑戦の瞬間に備え、必要なデータの収集に追われる日々が続く。

(この項おわり)

[日経産業新聞 5月18日付]

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