群雄割拠の時代に終止符 マルセル・フグ(上)
車いすマラソン
2015年。下肢に障害を持つ選手が、レーサーと呼ばれる三輪の競技用車いすに乗って42.195キロを走る車いすマラソンは、戦国時代の様相を呈していた。
健常者と同じ世界のメジャーマラソン6つのうち、当時、車いす部門が国際化されていなかった東京を除くボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークを制したのは欧米、アフリカ、オセアニアと4つの大陸の4人の選手。まさに群雄割拠である。

だがパラリンピックイヤーの翌16年。このいくさ世を治め、天下布武を宣言したのが欧州スイスのマルセル・フグ(31)だ。年間の獲得ポイントで高額賞金を争うアボット・ワールドマラソンメジャーズが同年に車いすでも始まり、最初の対象レースとなった4月のボストンで2年連続優勝を飾って波に乗る。「最初のマラソンに勝ったのが、私に自信を与えた」とフグ。
6日後のロンドンでオーストラリアのクート・フェンリーをかわして1位。9月のリオデジャネイロ・パラリンピックもフェンリーとのマッチレースに勝って金メダルを獲得した。その勢いのまま同月のベルリン、10月のシカゴ、11月のニューヨークすべてで優勝。全8戦のうち17年の東京、ボストンの2戦を残し、早くも総合優勝を決め、初代チャンピオンの称号を手にした。「信じられないし、驚いている。最初の王者になるのはいい気持ちだ」
車いすマラソンは先頭を走る選手の後ろに入れば、自転車レースの風よけの要領で6~7割の力で走れる。それゆえ、レース中は誰が先頭に行くかで頻繁に駆け引きが行われる。コーナーや坂で仕掛けて後続を引き離す戦術も重要だ。
■圧倒的なゴール前のスプリント力
日本の車いすマラソンの第一人者、副島正純によると、かつてのフグは積極的に先頭に出て、レースをコントロールするタイプの選手だった。だが勝てなかった。変身のカギは、「ゴール前のスプリント力がついたこと」と副島。団子状でゴールになだれ込むことが多いレースで、フィニッシュ直前でもう一段吹かせるエンジンを身につけた。
フグはパラリンピックでの金を目標に、「トラックでトップスピードで走るトレーニングをたくさんやった」ことが奏功したとみる。毎年、春と秋のマラソンの間、夏のトラックレースシーズンは短中長距離のレースに積極的に参加、スピードを磨いてきた。
トラックとマラソン両方をこなす車いす陸上選手はほかにもいるが、フグの強さは別格。リオでは800メートルでも優勝した。「あなたはマラソン選手か、トラック選手か」と問うと、「両方だ」と笑う。
16年に勝った6レースは2位とのタイム差が2秒以内と、すべて最後のスプリントで決着したものだった。42キロ以上を走ってなお、最後の最後で1センチでも先んじる力。現在、世界最高のエンジンを持つ車いすアスリートがフグなのだ。
〔日本経済新聞夕刊5月15日掲載〕