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フィットネスクラブ再建で孤立 「孫さんになりたい」

「ヘルステック」ベンチャーのフィンク(3)

フィンクで強い求心力を持つ溝口勇児社長だが、かつて所属したフィットネスクラブでは経営再建の過程で部下から反感を買うこともあった

スマートフォン(スマホ)などを駆使して健康に役立つ情報を一人ひとりに合わせて提供するヘルステックベンチャーのFiNC(フィンク、東京・千代田)。前回に続いて、社長の溝口勇児氏(32)に創業のきっかけを聞く。勤務先のフィットネスクラブでトレーナーのキャリアを重ねリーダーとしても頭角を現した溝口氏だが、持ち前の能力と自信、若さ故に周囲から孤立。そんななか「本物の経営者」との出会いが、溝口氏を起業へと駆り立てた。(聞き手は編集委員 渋谷高弘)

――プロのトレーナーから、なぜ経営に関心が移っていったのですか。

「僕は17歳でトレーナーになり、就職したフィットネスクラブでは20歳でトレーナー育成担当者になるなど、とんとん拍子でキャリアを重ねました。そして23歳の時、関東の地方都市に出店する新店舗の支配人に抜てきされたのです。それが初めての組織の長の経験でした。ところが、この店の経営がとんでもなく大変でした。とにかくお客が集まらない。考えてみれば当たり前で、地方都市はドーナツ化現象で周辺部に人口が流れています。なのに会社は一番家賃の高い中心市街地に多額の投資をしてしまったのです。地元を熟知している人なら絶対に選ばない最悪の立地で、事業計画にまったく追い付きませんでした」

断腸の思いで店を閉鎖した時、「孫さんなら経営手腕によって閉めずにすんだかもしれない」と考えた

「その店では、僕が本社から行った唯一の社員で、他の従業員はすべて現地採用の人たちでした。結局、2年弱で店を閉鎖することになり、僕はインストラクターやフロントで働いていた人に全員辞めてもらいました。彼ら、彼女らにはひどく泣かれました。1500人くらいいたお客様からも、非難されました。多くのお年寄りも在籍していましたが、そういった方々にとってフィットネスクラブは生きがいだったり、友達と交流できるコミュニティーだったりしたのです。そのような大切な場所を閉めざるを得ず、当然、その店のトップだった僕は戦犯のように多くの人から罵声を浴びせられました。24歳そこそこでしたが、今でも深く心に残っているほどの、かなり衝撃的な経験でした」

――その後は、本社に戻ったのですか。

「はい。本社の経営もかなり悪化していました。競合他社が登場し業績が厳しいのに現場には危機感がなかった。オーナーによる家族経営で、僕がオーナー直下の最終責任者として会社の再建に取り組みました。まず各店舗の支配人たちが業績を上げられなくなっていたので、社員一人ひとりに数字目標をもたせ、役割や責任を明確にするなどしました。給料や残業代もカットし、必要なら降格、不採算事業からも撤退し、従業員は半分くらい入れ替わりました。その後に講じた数々の施策がたまたま奏功し、お客様の数も増えたため、会社を2年くらいで赤字から、大きく利益が出る状態まで回復できたのです」

「ただ、部下からの反発は強かったです。その中には僕が会社に入った時の上司もいました。僕が若くて貧乏だった時、食事をごちそうしてくれたり、かわいがってくれたりした人でした。でも、その人こそ経営再建の障害になっていました。ただ、そのことが僕には理解できませんでした。なぜなら彼は僕にこの仕事のイロハや、トレーナーという仕事のやりがいを教えてくれた人だったからです。けれど僕が本社を離れていた2年半の間に、彼の目からは輝きが失われていたのです。僕は経営側の人間として、断固たる姿勢で向き合いました。恩を仇(あだ)で返したと思っている人もいるかもしれません。でも僕は一度、社員やお客様の笑顔を消してしまった過去がありました。今度こそは会社やお客様を守ると決めていました。けれど有事ゆえに厳格な僕の姿勢を批判する人も多く、忘年会など会社のイベントにはいつも僕だけ誘ってもらえなくなりました。そのときの僕は『なぜ分かってくれないんだ』と何とも言えない感情をいつも胸に抱いていました」

――会社の再建に尽力したのは分かりましたが、なぜ、そこから起業なんですか。

「断腸の思いで店を閉鎖した時、ふと思ったことがありました。誰だったら違う結果を残せただろうかと。僕はプロのアスリートと交流があったし、孫正義さんの伝記『志高く』を読んでいて孫さんのファンでもありました。そこで『もし自分が大リーグのイチロー選手や芸能人の木村拓哉さんだったら、その人気によって店はつぶれなかったに違いない。あるいは孫さんだったら、その経営手腕によって店をつぶさないで済んだかもしれない』と思ったのです。さらに突拍子もないですが、『自分はイチロー選手やキムタクさんにはなれそうにない。でも、もしかしたら孫さんにはなれるかもしれない』と無知ゆえに思ってしまったんです。また高校生の時から長くトレーニングの仕事に関わり、深い悩みを抱えるお客様に触れて人より多くの経験を積ませていただいたなかで、『この領域の課題を解決するのは自分だ』といった感情が芽生えてきたのです。これらが起業を意識し始めたきっかけでした」

「ある時、友人に誘われて、ある経営塾に参加する機会がありました。その時自分は『2012年4月11日に起業しよう』と決めていました。この日が、自分が生まれてから1万日だからです。日本人男性の平均寿命は80歳で、約3万日。その3分の1という区切りで新しいチャレンジをする。そこから逆算すれば、まずは今の会社の経営危機を乗り越え、経営者としての基礎を築かなければいけない。そのくらいのことができなければ、どうせ起業したところで、たいしたことはできやしないだろうと。そんな思いで目の前の逆境に向き合い、経営塾に参加したのです」

 ――どんな塾でしたか。

「『ジャイロ経営塾』といい、受講者は友人と僕とその他合計でわずか4人、講師は元ナイキジャパン社長の秋元征紘さんと、LVMHグループのクリスチャン・ラクロワの日本法人代表や御木本製薬社長を務められた田所邦雄さんでした。僕は事前に何も聞かずに臨んだので、最初に秋元さんと田所さんの自己紹介を聞いたとき、『なんかものすごい経歴の人たちが出てきた』と思いました。僕はそのときまで、名だたる会社で活躍してきた一流の経営者に会ったことがありませんでした。その2人と、わずか4人、いや友人は初回で脱落してしまったので、わずか3人の生徒が狭い会議室で、膝詰めで討論するのです。主に企業の組織運営、人材育成や管理などをテーマに、『君はどう思う?』などとどんどん詰められる。答えが甘いと『君は分かっていないねー』と散々です。でも、すごい勉強になりましたし、僕には、ものすごく面白かった」

起業前に通った経営塾では「一流の経営者の考え方を学ぶことができた」という。当時師事した元ナイキジャパン社長の秋元征紘氏(右)と元御木本製薬社長の田所邦雄氏(左)と供に

――最もためになったこと、印象に残っているやり取りはありますか。

「一流の経営者の考え方に触れることができたことが最大の収穫でした。中でも印象に残っているのは、部下への接し方についての教えでした。先に話したように、当時の僕はフィットネスクラブ運営会社で再建に取り組み、自分の先輩といえる人たちや従業員を降格・降給させたりして、強い反発を買っていました。でも僕の論理は『彼らは改革への抵抗勢力であり、自分はお客様や会社の未来のために正しい行動をとっただけだ』というものでした。でも講師の方からこう言われました。『なぜ彼らのモチベーションが下がってしまったのか、その理由を一度でも君は理解しようとしたか』と。一体、何が彼らをそうさせたのか、相手の立場にたって理解しようとしたか、という指摘でした」

「もともと前を向いていた人たちが、下を向いてしまっている組織には、何か理由があるはずです。でも当時の僕はそれを理解しようという気持ちにはなれなかった。『会社が危機なのに、責任ある立場なのに、いい加減な仕事しかしない無責任な人たちだ』という感情しかありませんでした。でもそういう人たちにも背景があって、それを理解しようとすることが経営者として大切だ、と指摘されたことはすごく印象に残っています。秋元さんからは、『経営にはコンパッション(思いやり、相手の心を推し量ること)が欠かせない』と言われました。この言葉を、今、フィンクでも大切にしています。2人の一流経営者と接し、彼らにあって自分にはないものを知り、逆に自分にあるものを探った3年間でした」

――結局、自分には何が足りなくて、何が強みだと思いましたか。

「まず、自分に足りないと思ったのは、経営者としての厚みとか深み。もっと言えば、人間として、男としての厚みと深みが全然ないと思いました。しかも2人には、厚みや深みだけでなく愛嬌(あいきょう)もあるんです。当時の僕はいつも会社でイライラしていて笑顔なんてなかったし、自分の弱みなんてみせたら、相手につけ込まれると思って、完璧を演じようとしていたんです。それなのに2人は素の自分を見せていました。ある時、秋元さんが額に大きくてかわいいばんそうこうを貼っているので、『どうしたんですか』って聞いたら『いやー、ころんじゃったんだよ』って(笑)。本当にすごい人は格好つけないんだなと思いました」

「こんな言い方をしたらすごく生意気なんですが、塾に通い始めて1年くらいで、このまま直接教えを受け、努力を続けることができたなら、年齢差もあるし、額にばんそうこうを貼ったりもしているし(笑)、『いつか2人に追い付き、追い越せるんじゃないか』と思えるようになりました。それが少しずつ自信になっていきました。すごい経営者だって自分と同じ人間なんだ。一流の経営者である講師の2人と、自分の間にはどんな差があるのか。その差を埋めていこうと思いながら勉強を続けました。自分も正しい努力を積み上げていけば、経営者として大事をなし遂げられるんじゃないか、2人のように影響力をもてるんじゃないか、と確信できるようになっていきました。結局、経営塾には起業する27歳まで通いました」

溝口勇児
 1984年生まれ。高校在学中からトレーナーとして活動。プロ野球選手やプロバスケットボール選手、芸能人など、延べ数百人を超えるトップアスリート及び著名人の体作りに携わる。トレーナーとしてのみならず、トレーニング業界最年少のコンサルタントとして、新規事業の立ち上げや、業績不振企業の再建にもかかわった。2012年4月にFiNC(フィンク)を創業。一般社団法人アンチエイジング学会理事。日経ビジネス特集「若手経営者が選ぶベスト社長」にランクインし、書籍「スタートアップ列伝 ニッポンの明日を拓く30人」(日経BP社)でも取り上げられた。

「post2020~次世代の挑戦者たち」は原則水曜日に掲載します。

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