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あちこちに名残… かつて目黒に競馬場があった

日本には、JRAと地方競馬を合わせて25の競馬場がある。東京都内には現在、東京競馬場(府中市)と大井競馬場(品川区)の2つがあるが、かつては目黒、池上、羽田、八王子にも競馬場があった。

その一つで、現在もわずかばかりの名残を残しているのが目黒競馬場だ。東京23区の南西部にある目黒は古くから牧場の多い場所で馬との関係が深く、東京大学教養学部のキャンパスのある「駒場」、オリンピック公園のある「駒沢」という地名が今でも使われている。そもそも「めぐろ」という名前も、目黒区史によると、「め」は駿馬の「め」、「くろ」は畔、あぜ道を意味しているとする説があるほどで、非常に馬と関係の深い土地だといえる。

バス停の名は「元競馬場前」

目黒競馬場は1907年(明治40年)に開場。府中に移転する33年(昭和8年)まで使われていて、第1回東京優駿(日本ダービー)も、目黒競馬場で行われた。

JR山手線目黒駅を背にして、目黒通りを西に向かって大きな坂を下ると、酉(とり)の市で有名な大鳥神社に出る。大鳥神社を左手に見ながら直進すると再び坂を上り、しばらくすると「元競馬場前」という名のバス停が見えてくる。

今は住宅しかないこの街に、1周約1600メートルの競馬場があった。古地図を見ると、目黒通り沿いに競馬場のスタンドがあり、その南側にコースが広がっていた。コースの一部はカーブのきつい路地として今も残っている。83年(昭和58年)には、後世に歴史を伝えようと、目黒通り沿いに記念碑が建てられた。日本ダービー初代優勝馬・ワカタカの父で、計6頭のダービー馬を輩出した名種牡馬トウルヌソルをかたどった記念碑はひっそりと歩道の隅に鎮座している。

「夜9時ごろ、厩舎の馬にそっと水をやってから、他人に気どられないように外へ出かけた。道は暗く、たんぼの間を通り、林が繁る山の間を抜けてゆかねばならない。人の噂では化けだぬきが出るという。いい気持ちではないが、私はりっぱな騎手になりたい一念で歩き、馬頭観世音にぬかづいた」(尾形藤吉著「競馬ひとすじ -私と馬の六十年史-」67年 徳間書店)

今から100年以上前の15年(大正4年)、後に伝説的騎手、そして大調教師となった尾形藤吉青年はレースに向かう気持ちを引き締めるために「茶絶ち、塩絶ちをして、夜おそく、2キロほどはなれた恵比寿駅近くの馬頭観世音に、21日間の願掛け詣(まい)りをはじめた」。

目黒に競馬場があった当時、周辺には厩舎が点在していて、尾形青年は祐天寺の裏で暮らしていた。祐天寺駅は、東急東横線で渋谷から3駅目。恵比寿までは駒沢通りを進み、バスで停留所5つ分。案外近いのではないかと思われるが、当時はそんなに簡単な道のりではなかったようだ。

「林が繁る山」とは代官山のこと。今日、瀟洒(しょうしゃ)な街として知られる代官山は23年(大正12年)の関東大震災以降に開発されたため、この頃はうっそうとした林が広がっていた。おそらく街灯もほとんど無く、心細くなることもあったに違いない。23歳の尾形青年は必死の思いで漆黒の田舎道を踏みしめていたのだろう。

尾形藤吉の馬頭観音 いまも

実は尾形青年が願掛けをした馬頭観音が今も残っている。

恵比寿駅西口を出て、商店街を150メートルほど直進すると五差路があり、その一角に江戸時代に建てられた道しるべがある。脇の説明書きによれば、この道しるべは1779年(安永8年)、江戸市中から祐天寺方面に抜ける道と、当時の一大観光名所であった目黒不動尊への道の分岐に建てられたという。

その分岐を「ゆうてんじ道」方面に進むと、高級住宅地に入る。その片隅に小さな小さなほこらがある。気をつけていなければ通り過ぎてしまうほど、ひっそりとたたずんでいる。これが、尾形藤吉さんが願掛けをした馬頭観音だ。

渋谷区教育委員会の説明書きによれば、この小さな石仏は1719年(享保4年)に安置されたというから、約300年の歴史がある。この一帯の現在の町名は恵比寿南だが、かつては原町と呼ばれた地域で、辺りには野原が広がっていたのだろう。約100年前、原っぱの真ん中にたたずむ小さなほこらに、小柄な青年がぬかずいていたのだ。

願掛けの甲斐あって、尾形騎手は1915年(大正4年)11月27日に目黒競馬場で行われた日本一を決定する連合二哩(マイル)競走(日本ダービーの前身)でトクホに騎乗し、3分43秒6の勝ち時計で、2着に4馬身差をつけて優勝。名ジョッキーの地位を築き上げた。調教師に転じてからは中央競馬歴代最多の1669勝の記録を残し、64年(昭和39年)に黄綬褒章、66年(昭和41年)には勲五等双光旭日章を受章。日本競馬界初の叙勲の名誉を受けた。

今回の小さな旅を通して、歴史を、競馬を、尾形さんを身近に感じられた。かつて、馬は農耕馬、荷役馬として、また軍馬として身近な存在であり、馬の守護仏としてあがめられている馬頭観音も身近に数多く祭られていた。きっとこれを読んでいるあなたの傍にもひっそりと馬頭観音が安置されているはず。探しに出かけてみてはいかがだろうか。

(ラジオNIKKEIアナウンサー 舩山陽司)

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