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「スターターの神様」佐々木吉蔵氏 正確な計測に執念

スタートのテクノロジー(2) 北岡哲子 日本文理大学特任教授

東京五輪から順位とタイムの判定に写真が導入された(男子100m走決勝)。写真出所は陸連時報 第136号、1965年3月15日、野崎忠信「1964年東京オリンピック大会コレクションと資料」所収
日経テクノロジーオンライン

1964年の東京五輪において「スターターの神様」と称された一人の日本人がいた。12年生まれの佐々木吉蔵氏だ。東京高等師範学校を卒業後、勉学を究めるためにさらに中央大学法学部に進み、53年に東京学芸大学の教授に就任した。

学生時代、同氏は自らが陸上の競技者で、32年のロサンゼルス、36年のベルリン両五輪に出場した。このため、スターターの重要性や理想像、ルールに対する疑問など、切実な問題意識を持っていた。

実は失格?ベルリン五輪優勝のオーエンス

同氏が出場したベルリン大会でのエピソードは特に有名だ。男子100mの優勝者、米国のジェシー・オーエンスと佐々木氏は予選で隣同士のレーンにエントリーされた。スタート合図直前、佐々木氏がちらっと横を見ると、オーエンスは約5cm幅のスタートラインの少し前方に手を置いていた。手はラインの手前につくものだと認識していた佐々木氏は、「おかしい」と感じた。

ところで、100m走の100mとは、一体どこからどこまでを指すのか。スタート地点とは5cm幅のあるスタートラインの手前なのか、奥の側なのか。ゴールはフィニッシュラインの手前か、奥側か。全部で4種類の解釈があるうち、どれが正しいのかについて疑問を持った。

スタートの瞬間に佐々木氏がどこまで考えていたかは定かではないが、モヤモヤしながらスタートしたためか、同氏は予選落ちしてしまった。

レース終了後、誰に尋ねても満足な回答は得られなかったそうだ。帰国後も引き続き調べたが、100mの正しい測り方は分からずじまいだった。当時はルールに記述がなかったからだ。ただ、この経験から佐々木氏は、陸上界のルール構築に尽力するようになった。

 余談だが、正しい100mは第2次世界大戦後のルールブックに初めて明記された。100mとは「スタートラインの手前からフィニッシュラインの手前までの距離」を指す。つまり、ルールによるとスタートラインは100mに含まれていて、フィニッシュラインは含まれていない。オーエンスがスタートラインの前に手を出してついていたのであれば、本来は反則で失格ということになる。

東京五輪男子100m決勝でスターター

佐々木氏は62年に東京五輪準備室長となり、64年の東京五輪開催に死力を尽くした。東京五輪では花形種目である男子100m決勝のスターターを、満を持して引き受けた。「それまでの自分の人生はこの一瞬のためにあったのだ」と言い、迷うことなく決めたそうだ。

陸上競技が球技や格闘技などと決定的に違う点は、「他の競技者に勝ち1位になる」というだけではなく「タイム(記録)を狙う」という、もう1つの戦いが含まれていることだ。

それを左右するスターターは、競技者の命を握っているほどの重責を負うといえる。そのことを踏まえ、64年当時と現在のスタートに関するテクノロジーの異なる点を明らかにしていきたい。同時に佐々木氏の偉業である、スターターに関するルールの構築についても説明していく。

東京五輪前は手動の計測が一般的だった。フィニッシュ地点に設けられた階段状の台に、タイムを計る計時員と着順をみる審判員が陣取っている。写真提供は野崎忠信明星大学名誉教授

64年の東京五輪における「ドン」の号砲は、本物の拳銃の空砲を使用した。38口径ニューナンブ。警察官が使用しているもので、4丁を警視庁から借用した。火薬の量で音量が異なるので、佐々木氏を中心に数種類の空砲を事前に何度も試し撃ちし、1年前のプレ五輪大会で最終的に火薬量を決めた。それは大変な苦労だったそうだ。

「ドン」の音とともに、銃口からは閃光(せんこう)が出る。フィニッシュライン外側にいる計時員は、この閃光を見てストップウオッチを作動させる。競技者は音を聞いてスタートするが、計時員は閃光を見る。

基本的なことだが、東京五輪より前の記録は手動での計測だった。フィニッシュには、タイムを計る計時員と、着順を見る審判員がいる。計時員はトラック外側、審判員はトラックの内側で、それぞれ階段状の台に縦2列に陣取る。

着順の審判員の分担表。6着までは競技者1人を3人の審判員が見ていた

計時員はそれぞれ両手に時計を持ち、2人の競技者の記録を計る。記録は1人の競技者に対し3個の時計で決めていたので、計時員は8人×3÷2で12人が必要だった。接戦で多くの競技者が固まりになってフィニッシュする場合は、タイムを取るのはとても難しく熟練の技が必要だった。

3人の計時員の計測タイムが同じ場合は問題ないが、異なる場合もある。どうやって1つに決めて掲示していたかというと、例えば(10.1、10.2、10.3)であれば真ん中の記録である10.2秒、(10.1、10.1、10.2)のように2対1のときは多数側である2名の計時10.1秒とすることが、ルールに記載されている。

写真判定で100分の1秒まで計測

東京五輪からは写真判定が導入された(冒頭の写真)。手動でも記録を取っていたがあくまでも参考扱いで、写真判定が優先だった。タイムは100分の1秒まで読み取り、四捨五入する。例えば、10.14秒は正式掲示では10.1秒、10.15秒は10.2秒となっていた。東京五輪の後は現在にいたるまで、100分の1秒単位の値をそのまま表示するようになった。

 当時の写真判定は、現在とは大きく異なっていた。スリット(細い隙間)を通してフィルムを巻き続けながら撮影するスリットカメラを用いてフィニッシュラインを通過する競技者を記録し、このフィルムを現像していた。それから競技者のトルソー(胴体部分)がフィニッシュに到達したタイムを、競技者とともに写し込んだ100分の1秒相当の目盛りから読み取る。そのため、結果を確定するのに多くの時間を費やし(当時は1分くらいかかった)、観客への告知は非常に遅くなっていた。

現在は、デジタルカメラで撮影するためすぐに画像を確認できる。タイムはコンピューターシステムの画面上でカーソルをトルソーに合わせるだけで得られ、同時に掲示板に表示される。もし100分の1秒単位で同タイムの場合は、画像を拡大して1000分の1の目盛りまで読み取る。計時が同着同タイムでも着順に差がつくことがあるのは、このような理由による。

タイムに関する余談だが、明治時代は1位だけを計時し、2位以下はタイムを計らなかったそうだ。予選は、昭和30年代前半ですら3位までしかタイムが残らなかった。現在は、もちろん全員を計時している。

一方、着順を見る審判員は、1位だけを判定する人のほか、1位と2位を判定する人、2位と3位を見る人というように、審判員1人が競技者2人を見る。各競技者については、審判員3人の目が届くように分担する。

写真判定が採用されたことにより、フィニッシュ地点での順位にはトラブルがなくなった。しかし、写真判定は費用がかかる。東京五輪以降、大きな大会は全て写真判定を取り入れているが、小さな大会は手動計測を用いている場合もある。それでも、現在は100分の1秒単位で判定しないと正式に公認されない。

東京五輪の前後で変わった技術は、ここまでお伝えした号砲、記録判定に関するもののほかに、もう1つある。出場人数が増えたための苦労があった。次回は、これにまつわる東京五輪での工夫について解説する。

(次回に続く)

(日本文理大学特任教授 北岡哲子)

[日経テクノロジーオンライン2017年3月15日の記事を再構成]

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