言い訳なし 自ら変えろ プロレスラー棚橋氏

2017/4/7 6:30
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新日本プロレスは若者や女性の人気を集め、いま何度目かのブームを迎えていると言われる。立役者が所属プロレスラーの棚橋弘至氏。大学の法学部を卒業して入門した異色の経歴を持つ。「冬の時代」を冷静な状況分析と戦略で生き抜いた。(聞き手は日経産業新聞編集長 野沢正憲)

プロレスラー 棚橋弘至氏

プロレスラー 棚橋弘至氏

――プロレスラーでは珍しく大卒です。なぜふつうの会社を選ばなかったのですか。

「高校生まではプロ野球が好きで、スポーツを報道するマスコミの仕事にあこがれていました。高校生のときにテレビで見た武藤敬司選手ら『闘魂三銃士』などの試合が運命を変えました。とにかくプロレスラーが輝いて見えました」

「立命館大学の在学中に新日本の入門テストを受けて、3度目の挑戦で合格しました。中退してすぐにでも入門したかったのですが、長州力さんから『大学は出ておいた方がいい』と説得されました」

――入門から半年でデビューしましたが、プロレスの人気に陰りが出始めました。

「付き人で仕えた武藤選手のようなスターを目指しました。デビューした頃は観客の動員数なんて気にせず、自分のことばかり考えて出場していました。数年がたち、巡業で回る地方会場の座席が年を追うごとに減っていきました。以前は壁までびっしり埋まっていた座席が、リング周囲の2~3列しかない状況になっていたのです」

「お客さんが少ないと試合も盛り上がりません。このままではスターになんて到底なれないなと焦りましたね。誰かが何とかしてくれるとは思いませんでした。プロレスの人気を復活させるのは自分しかいないと決意しました」

――なぜ当時のプロレスは人気を失っていったのでしょう。

「いちばんの理由は面白くなかったからです。そして新日本は人気が落ちるのを選手の離脱や総合格闘技ブームなどの外部環境のせいにして、自らを変革する機運がなかった。喜ぶ試合を提供していないから動員が減っていただけ。顧客目線がなかったのです」

「それまでは創設者のアントニオ猪木さんが標榜した伝統的な『ストロングスタイル』の試合形式に固執していました。市場が変わったのだから新日本も意識を変えなくてはならない。ファンが見たくなる試合をしなくてはいけないと思いました。プロレスの魅力を伝えようと、寝る間を惜しんで全国各地へのプロモーション活動に出向きました」

――ロングの茶髪や派手なマイクパフォーマンス。従来の新日本のレスラーと違うことをしたのも戦略でしたか。

「地方を回った時にプロレスをあまり見ない人たちと会話すると、とにかくプロレスは『怖くて痛い』『おじさんが好きなもの』でした。これでは若い女性や子供は見に来ません。イメージを壊すためにビジュアル戦略を強化してあえてチャラさを前面に出しました。従来のファンからはブーイングを受けましたが…」

「好きではない人に『見に来て』と言っても、来てくれません。だから地方のテレビ番組やタウン誌に出てもまず自分に興味を持ってもらうように努力しました。棚橋を応援しに来てくれたら、プロレスの魅力に気づいてリピーターになってくれると。何年も繰り返して2010年ごろにようやく認められてきた。営業担当や裏方のスタッフとの一体感も生まれ、会社が変わっていました」

――よくあきらめずにやれましたね。

「俺がプロレス界を何とかしますと公言してきました。言い訳をしないことが大事です。目標を達成するために責任感も生まれます。ファンは努力の過程を見てくれています」

――最近は入社3年内に離職する若者も目立ちます。

「プロレスのファンは相手を攻めている時よりも攻められている時に選手を応援してくれます。苦しい時を乗り切って逆転勝利するからファンも喜んでくれる。仕事でも苦しい時にあきらめずに頑張って、逆転勝利の体験を持つことが大事。勝利の味を覚えれば仕事はもっともっと面白くなります」

「仕事って自分の喜びを追求するものだと思っていましたが、最近は人の喜びにつなげることだと思っています。自分の試合で『元気になりました』と言われるとうれしいじゃないですか。これ、メーカーでもサービス業でも同じですよね」

■ ■私のこだわり■ ■

「愛してまーす」。勝利後にリング上で叫ぶ決めゼリフなど、ファンの心をつかむための言葉選びには誰よりもこだわる。「100年に1人の逸材」というニックネームも自ら考案した。

プロレス界でいち早くブログを始め、ほぼ毎日更新する。「地方ではまだまだSNSを利用しない人が多い」と、地方都市でファンと会話をするなど交流は今も欠かさない。

(遠藤邦生)

 たなはし・ひろし 1999年(平11年)立命館大法卒、新日本プロレス入門。同年10月に真壁伸也(現刀義)戦でデビュー。06年にIWGPヘビー級王座を初めて獲得。40歳。

[日経産業新聞 4月7日付]

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