2019年8月17日(土)

東芝のノートPC本拠地、さびしい終幕

2017/3/31 6:30
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半導体メモリー事業の分社、米原子力子会社ウエスチングハウス(WH)の破綻――。2017年3月は東芝にとって激動の月だった。そして隆盛を支えた拠点が約50年の歴史にきょう幕を下ろす。青梅事業所(東京都青梅市)。ノートパソコンの本拠地であり、WHの買収を決めた西田厚聡・元社長が社長への地歩を固めた場所でもある。

正門が閉じられたままの青梅事業所は人影がまばらだった(29日、東京都青梅市)

正門が閉じられたままの青梅事業所は人影がまばらだった(29日、東京都青梅市)

青梅事業所の最寄り駅であるJR青梅線の小作(おざく)駅。「正門を閉めた昨年あたりから(東芝関連の利用者が)急に減っちゃったね。東芝(青梅事業所)まで乗せるのは週に1回あるかどうか」。駅前で客待ちをしていたベテランのタクシー運転手は語る。

青梅事業所の敷地内は人影がまばらだった。しんと静まりかえり、車両も数えるほどしか置かれていない。6階建てと7階建ての2つの事務所棟はまだ威容を誇っていたが、明かりがついている場所はほとんどみられなかった。16年12月時点で関係会社を含めて1100人ほど残っていた社員もほとんどが近隣の事業拠点への移転を済ませたようだ。

東芝は会計不祥事が発覚した15年に青梅事業所を閉鎖する方針を公表、16年12月に野村不動産に約100億円で売った。閉鎖後に建物を解体した上で引き渡す。東京ドーム約2.5個分に相当する約12万平方メートルの敷地は大型物流施設に生まれ変わる予定だ。

1968年に操業を始めた青梅事業所は、日本語ワープロ「ルポ」やノートパソコン「ダイナブック」など数々の製品を生み出してきた。

ダイナブックブランドを世界に広めた立役者の1人だった西田氏は04年、パソコン事業を担当する社内カンパニーのトップに就任した。当時、赤字だったパソコン事業を立て直すため、西田氏は青梅事業所に足しげく通って開発陣を鼓舞した。青梅事業所から中国・杭州市に設置した工場への生産移管も進めて生産コストを削減した。西田氏は就任からほぼ1年でパソコン事業の赤字を消した。その功績が評価されて05年に社長になった。

青梅事業所は05年に生産拠点としての役割を終えた。その後はパソコンやテレビの開発拠点として東芝のデジタル機器事業を支えてきた。

だが、パソコンの販売台数は世界で国内でも最盛期の7割前後の水準まで落ち込んでおり、今後も大きな成長は見込めそうにない。開発者が腕を振るえる余地は小さい。

東芝はパソコン事業を大幅に縮小した上で16年に分社した。ソニーから独立したVAIO(バイオ)と富士通のパソコン事業と統合する構想もあったが、白紙に戻った。

「そりゃさびしいよ。街のシンボルみたいなものだったから」。近所に30年以上住むという男性は、青梅事業所に目をやりながらさびしげな表情を浮かべた。

(竹居智久)

[日経産業新聞 3月31日付]

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