中央競馬の今年の新人騎手5人が3月4日、一斉にデビューした。今回の5人中、美浦所属の3人はいずれも現役か元の騎手の息子だ。木幡育也(18)は、父の初広(51)が現役最古参。兄の初也(21)、巧也(20)ともども、親子4人が騎手という中央史上初のケースとなった。横山武史(18)は、父典弘(49)が通算2648勝、G1も25勝のスター騎手で、兄の和生(23)も現役。典弘の父富雄(故人)も騎手だったから、親子3代の騎手である。武藤雅(19)も、父善則(49=現調教師)が2001年まで騎手だった。(敬称略、成績は2月末現在)
期 | 氏 名 | 回数 |
---|---|---|
1 | 柴田善臣 | 8 |
2 | 横山典弘 | 11 |
※松永幹夫 | 1 | |
3 | 武 豊 | 21 |
蛯名正義 | 10 | |
5 | 田中勝春 | 1 |
7 | ※藤田伸二 | 7 |
四位洋文 | 1 | |
8 | ※後藤浩輝 | 5 |
12 | 福永祐一 | 8 |
15 | 北村宏司 | 2 |
19 | 松岡正海 | 1 |
20 | 川田将雅 | 4 |
23 | 浜中 俊 | 3 |
他の年間100勝達成者 | ||
氏 名 | 回数 | |
※安藤勝己(笠松) | 6 | |
岩田康誠(兵庫) | 9 | |
内田博幸(大井) | 5 | |
戸崎圭太(大井) | 4 | |
Cルメール(フランス) | 2 | |
Mデムーロ(イタリア) | 2 |
(注)※は現役引退
社会全体で馬との接点が少ない日本では、競馬界と外界のなじみは薄い。騎手は専門職中の専門職だから、騎手や調教師、厩務員といった業界関係者の子弟が占める比重が高くなる。3月でデビュー30周年を迎えた武豊(47)も、父は「名人」と呼ばれた武邦彦(故人、後に調教師に転向)だった。30年と言えば1世代。次のスターが期待される時期だが、1世代の間に競馬界、特に騎手界の様相は激変し、息子たちは父の代には考えられなかった過酷な環境の中で、プロとしての第一歩を踏み出す。
■競馬学校騎手課程の黄金期
1987年の武豊の出現はセンセーショナルだった。初年度にいきなり69勝(うち重賞3勝)で新人最多勝記録を達成。翌年には、早くも113勝と100勝の大台を突破し、かつ同年の菊花賞をスーパークリークで優勝。10代でクラシック優勝騎手の偉業を達成した。
武豊の出現は、日本中央競馬会(JRA)の騎手育成の転換点と重なる。82年に競馬学校(千葉県白井市)を開校。馬事公苑(東京・世田谷)から移管したのに併せて、騎手課程の練習量を大幅に増やした。85年デビューの1期生から柴田善臣(50)が現れ、2期生から横山典と松永幹夫(49、現調教師)、3期生から武豊と蛯名正義(47)……。後の一流騎手を輩出した。
当時は23歳未満の騎手は「見習騎手」で、通算勝利数に応じて、一般競走では1~3キロの減量特典(通常より軽い負担重量で騎乗できる)が与えられた。通算41勝で減量は「卒業」が原則だが、武豊のように初年度途中で突破しても、規定の年齢までは特典があった。結局、92年から通算31~100勝を1キロ減とする代わりに、100勝を超えれば年齢不問で減量特典が消える設定となった。若手の台頭がルールを変えた形だ。
■「100勝クラブ」の壁は高く…
騎手界で「一流」の基準をどこに置くかは難しい問題だが、「年間100勝達成者」は少なくとも目安としては有効だろう。中央競馬で年間100勝を達成した騎手は30人(延べ150回)しかいない。武豊がデビューした87年以降に限ると、25人が134回記録している。25人の来歴を分類してみると、JRAの騎手育成が近年、いかに悩ましい状況かが見えてくるだろう。
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