/

絵本作家・鈴木まもるさん 「勉強しなさい」はなし

NIKKEI STYLE

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は絵本作家の鈴木まもるさんだ。

――子どもの頃、遊んでばかりいたと聞きました。

「東京都内で生まれましたが、兄弟ともに小学5年生になると、両親は、病弱な子が転地療養する神奈川箱根町の全寮制学校へ入れました。共働きで忙しかったのと、自然の中で生活させたいという方針だったようです。放課後は野山を駆け、手作りのおもちゃで遊ぶ毎日。おかげで親元に戻り中学に進学した時は、全く勉強についていけませんでした。贈り物の12色のクレヨンでチラシの裏紙に、絵や手塚治虫さんの漫画ばかり描いていました」

――勉強しなさいとは言われなかったのですか。

「言いませんでしたね。小2の朝、戦車の絵を描いていたら登校する時間になりました。完成させたら行くと約束すると、母は『いいよ』と。20分ほど遅刻しました。高校受験の時も、進学校ではない学校に行って自分の好きなことに時間を使いたいと打ち明けましたが『いいよ』とひと言。夜中に父が何をしているかと聞いてきたので、マンガを描いていると答えると『ふーん』と。父自身も何かを作るのが好きだったのではないかと思います」

――親としては子の将来が不安になる気がしますが。

「高2の時、大学紛争に感化された高校生たちに図書館が封鎖され、授業がない時期がありました。街で友達と自作の詩画集を売りながら、将来を真剣に考えてはいました。絵の勉強がしたい、芸大に進みたいと考え、親に頼み、芸大予備校に通わせてもらうことに。ただ、4浪しました。さすがに申し訳なく、母には『自分なりに勉強して受験するから』と、2浪目から家を出ました。土木建築現場や喫茶店でアルバイトをして食パンの耳をかじりながら、好きな時間に絵を描き、出版社に絵本を持ち込みました」

――家に戻るよう言われませんでしたか。

「母は悩んでいたと思います。でも、帰って来いとは言わなかった。芸大に落ちて『ダメだった、もう一年やりたい』というと『あ、そう』。正月に電話をすると『元気ならいいよ』と。ありがたかった。結局、大学も中退しました。子どもの絵画教室のほか、絵本が評価され、食べていけるようになったからです」

――両親は活動をどう感じておられたのでしょう。

「実は私は鳥の巣を収集しています。鳥の巣はヒナを育てるたびに新しく作られるのですが、ものづくりであることや、子どもの心を育てるということが絵本と共通すると感じるからです。父が初めて鳥の巣の展覧会に来た時『よく集めたね』と言って褒めてくれました。母は絵本の新刊が出ると買ってくれました。最近は先回りして子を導く親も多いですが、僕は好きなことをするのを見守ってもらえてよかったです」

[日本経済新聞2017年3月7日付]

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。

セレクション

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン

権限不足のため、フォローできません