遼河はるひさん 干渉しない両親、自由に道を選べた

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はタレントの遼河はるひさんだ。
――子どもの頃は人見知りだったそうですね。
「人前に出るのがとても苦手でした。幼稚園の学芸会でフラダンスをした時も、1人だけ何もできずにたたずんでいる写真が残っています。父はオペラや舞台の鑑賞が趣味で、そんな幼い私をよくミュージカルに連れていってくれました。初めて『ピーターパン』を見た時の感動は今でも覚えています。その頃は自分が舞台に立って演じる側になりたいという発想は全くなく、見て楽しむ側で満足していました」
――演じる側になろうと思ったきっかけは?
「高校2年の時、母の友人が宝塚歌劇団の大ファンで、誘われて名古屋の中日劇場で『グレート・ギャツビー』を見ました。父は背が高く189センチ。私も高校に入って急に身長が伸びて170センチを超えており、少しコンプレックスを感じていました。そんな時に歌劇を見て『男役が格好いい! この世界だったら身長を生かせる。私も演じてみたい』と思ったのです」
「両親は相談してもまじめに取り合ってくれませんでした。大学に進むことを望んでいたからです。でも、私は一度決めたら突き進むタイプ。合格するにはどうすればいいか徹底的に調べ、父に決意の手紙を書いて説得しました。その後1年間、週末に宝塚市にある準備校に通い、歌とバレエを学びました。バレエは全くの初心者だったので準備校に通って特訓していなければ合格できなかったと思います。父はおそらく私が合格するとは思っていなかったでしょう。でも、高い学費を出してくれました。とても感謝しています」
――晴れてタカラジェンヌに。ご両親は大喜びだったのでは。
「それがあっけにとられるくらいさっぱりしていました。同級生は合格発表でも親御さんの方が大喜びだったり、新人公演でも親戚一同で押しかけたり、お祭り騒ぎでした。でも、うちは私が家を出る時も涙一つ流さず、公演に来るのも家族だけ。父は舞台好きですが舞い上がることはなく、母は自分が好きなテニスやゴルフなどスポーツに打ち込んでおり、私のことには冷静でした。両親ともにいい意味で子どもに干渉しないスタンスですね」
――もっと喜んでほしいと思いましたか。
「正直、さっぱりしすぎではないか、と思ったことはあります。でも、今振り返ると、親からのプレッシャーがなかったからここまで自由に歩んで来られた気がします。宝塚歌劇団を辞めると決めた時も、タレントに転身した時も、私の考えを尊重してくれました。40代になっても『結婚しろ』と言われたことはありません。両親のおかげで周りにあまりとらわれない性格になり、気軽でいられます」
[日本経済新聞夕刊2017年2月28日付]
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