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樋口広太郎(11)後継社長生え抜きに

引き際の美学、己の痕跡は残さず

後継社長 生え抜き選びに苦心 13年、自らの痕跡は残さず

私は最初から、社長を長くやるつもりはありませんでした。社長になった翌年、「スーパードライ」が大ヒットして、住友銀行の磯田一郎会長に報告に行った時のことです。大変喜んでくださった磯田さんに、「こんな話をするのはちょっと早いのですが、できれば私は4年で社長を退任したいと思います」と申し上げました。「後任はどうするんだ」と聞かれて、「次は生え抜きにしたいので、よろしくお願いします」と答えたら、「まだちょっと良くなっただけじゃないか」と怪訝そうな表情をされたのを覚えています。

アサヒビールを立て直す仕事にメドがついたら、生え抜きの人にさっさとバトンタッチする考えでした。しかし、候補者を考えていたとはいえ、途中から入ったので、若いころから知っているわけではありません。自信を持って一人に絞り込むのは困難でした。

私はもともと、独裁的に人事を決めるのは良くないと思っていました。役員を選出する時は、常務以上に1人5票を割り当て、40人くらいいる理事の中から、これはと思う人を選んで投票させました。その得票の多い順に役員を決めたのですが、結果は私が考えていた人選とだいたい一致していました。

後継社長の選出については、名女房役だった大蔵省出身の米山武政副社長をわずらわせました。「次は生え抜きにしたい。君も役所から来ているので、すまんが選考委員長として、だれが適任か"票"をとりまとめてくれないか」と頼みました。米山君は社内の人望があり、こうした役にはうってつけでした。

92年、会長就任パーティーで、瀬戸雄三社長(左)と

米山君の尽力によって役員の意見が一つにまとまり、現会長の瀬戸雄三君が後任の社長に選出されたのです。彼は社内最大の営業部隊を率い、人柄もよく、多くの人から期待されていました。実際の交代が結局、アサヒに入って6年半後になったのは、慎重を期したからです。

会長職は、ビール部門で業界トップに立つことができたらすぐに退任する方針でした。45年ぶりに首位に返り咲いたのは98年でした。幸い瀬戸君が「私の後は福地君でどうでしょう」と言ってくれたので、会長を瀬戸君に譲る段取りも決まりました。翌99年1月13日付の新聞で「ビール部門業界トップ」が発表され、任期途中でしたが、19日付で予定通り相談役名誉会長に退くことをその日のうちに発表したのです。

顧みれば、住友銀行からアサヒビールに来て13年が経過していました。1998年のシェアは39.5%で約4倍に伸びました。社長在任中に累計6000億円の設備投資をやり、工場を一新しました。会長退任時までに生産能力は5倍近くに増え、営業利益は17倍近くに増加しました。お世話になった方々に感謝するとともに、われながら、つくづく運のいい男だなと思った次第です。

私は会長になって1年弱で、東京・吾妻橋の本部を引き払い、東京・京橋の東京支社に引っ越しました。銀行出身の私はアサヒにとって、いわば養子のようなものです。私がいたことなどは忘れられてかまいません。痕跡をいささかも残すべきではないと思います。

私はほとんどの工場を立て替えたり本部ビルを建てたりしましたが、あらゆる礎石に私の名前は一切刻ませていません。大阪・吹田の丘に建立した「先人の碑」にも、誰が考えたのかスペースが空けてありますが、私には不要です。

「痕跡を残さず」というのは、私の個人的な美学ではありません。カトリックの教えなのです。へーと意外に思う方もいるかもしれませんが、私はカトリックを信仰しています。パリ・ミッションという教団から、明治時代に初めて日本に来た7人の宣教師の誓いを知って感動しました。「7つの教会を建て、すみやかに日本人司祭に譲り、いささかも痕跡を残さないことをもってわれわれの使命とする」というものです。これを私は生きるうえでの指針にしています。

私がカトリックに出会ったのは、京都大学の学生時代でした。当時、学生運動に疲れ、原点から勉強しなおそうと思った私は、キリスト教を知ろうと、京都・西陣の教会に飛び込みました。そこで富沢孝彦さんという若い神父さんと意気投合して入信したのです。富沢さんがつけてくれた私の洗礼名は「アウグスチヌス」――さまざまな遍歴を経て30歳代で迷いから脱し、ついには聖人になった西ローマ帝国末期の人の名前です。

京都の小さな商家に生まれた私は、普通なら商人として堅実に人生を歩むはずでした。それが、いろいろな偶然が重なって銀行に就職し、ビール会社の経営に携わるというように、それなりに曲折の多い半生を送りました。とても不思議なことの連続でした。

 この連載は、2001年1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および新聞連載に加筆して出版された本「樋口廣太郎 わが経営と人生 ―私の履歴書―」を再掲したものです。2013年、日経Bizアカデミーで公開した記事を再構成しました。

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