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美勇士さん 亡き父、桑名正博を歌い継ぐ

NIKKEI STYLE

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はミュージシャンの美勇士さんだ。

--両親ともにミュージシャンで、父は桑名正博さん、母はアン・ルイスさんです。

「小さい頃、父のライブでコーラスをしていました。そのため、音楽を聴くことはもちろん、歌うことにも抵抗は全くありませんでした」

「両親は私が3歳の時に離婚。小学生までは母のもとで過ごしました。母はとても忙しく、私はインターナショナルスクールの寮で生活することに。ベッドでひとり、母の歌を聴いては泣いていました。普段は弱気を悟られないよう振る舞っていたのですが、やっぱり寂しかったです」

--中学生になり、大阪に住むお父さんのもとへ行きます。

「父は気さくでした。仕事とプライベートを区別しない人で、サインを頼まれればいつでも引き受ける。断るのを見たことは無かったです。地域の祭りでは、サインを求めてどの屋台より長い行列ができたことも。それでも父は『ええよ』と応じていました」

「13歳の時、父から『ステージ、立ってみるか』と言われ、初めてギターを手にしました。ライブのチラシには自分の名前があり、感動しました。不慣れな指先で弦を押さえ、コードを弾く。演奏は楽しかったです。あの経験がなければ、音楽の道を進むことはなかったかもしれません」

--ミュージシャンになるきっかけはお父さんだったのですね。

「音楽をしろと、強要されたことはありません。中学の時、サッカー選手になりたいと言ったら、家にラモス瑠偉さんや永島昭浩さんを呼んでくれました。素直に息子のやりたいことを応援してくれる、すてきな父でした」

--5年前、59歳の若さで亡くなりました。

「父が倒れる1週間前、2人目の子どもができたことを報告しました。父は『よかったやん』と一言。それが最後の言葉でした。倒れてから一度も意識は戻ることなく、3カ月後に亡くなりました。前触れもなかったので驚きました。ですが、最後の会話が明るい話題でよかったです」

「葬儀では父の曲『月のあかり』を歌いました。大切な人へ向けて『これは別れじゃない。自分は旅に出るだけ』と伝える内容が、若くして逝った父自身のことのようで、涙が止まりませんでした。出棺後、大阪の御堂筋をパレード。父が育った街である大阪に別れを告げたいと、当時の橋下徹大阪市長にお願いし、実現しました」

--これからの目標は。

「実は以前は親について聞かれるのが嫌でした。売れていない自分の現実を突きつけられる思いがしたからです。けれど、今は違います。親としてもミュージシャンとしても、両親を誇りに思います。これからも歌い続けたい。息子として、父の曲を歌い継いでいく使命もありますし」

[日本経済新聞夕刊2017年2月21日付]

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