モデル・はなさん 強気な母、背中を押してくれた

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はモデルのはなさんだ。
――小さな頃は中華街で過ごしたそうですね。
「母の実家は中華街の『華正楼』という飲食店でした。母方の祖父は中国人です。近所にいとこがたくさん住んでいて、中華街の路地でかくれんぼをして遊びました。大人たちが中国語を話していた記憶はありますが、私は日本語のみで育ちました」
「父方の祖父は台湾のプロゴルファーで、父はゴルフショップを経営していました。身長など私の体形は父譲りです。父は私が30代のときに他界。私は一度も怒られたことがなく、優しい父でした」
――2歳から高校卒業までインターナショナルスクールに通っていた。
「母の強い思いがありました。母は外で働いた経験が無かったことを後悔していました。私には将来的に仕事を持ってほしいと願い、そのためには英語を話せた方がよいと考えたのです。高校時代にフランスに短期留学しましたが、これも母が英語以外にもう一つ言語を話せた方がよいと考えたからです」
「母から『勉強しなさい』と言われたことは一度もありません。でも私はまじめに勉強しました。子ども心に、高い学費を出してもらっているのだから、ちゃんとしなきゃと思っていましたね」
――モデルを始めたのは高校生のときなんですね。
「夏休みは3カ月もあったんです。ダラダラ過ごす私を見かねた母が『部活感覚でやってみたら?』と言ったのがきっかけでした。母はファッションセンスがあって、私は小さな頃から着せ替え人形みたいに色々な服を着せてもらっていました。ハロウィーンの時にはアオムシやハチの衣装を縫ってくれたんです。『フラメンコを踊るお化け』というテーマで、花を口にはさんでポーズする写真が残っています。母の感覚は独特です。ファッションへの関心が芽生えたのは母の影響ですね」
「その後、上智大学に進学。一般企業への就職を考えて会社説明会に参加したこともありました。何だかしっくり来なくて悩んでいた時、『モデルを仕事にすればいいんじゃない』と母が言ってくれ、決心が付きました」
――お母さんのひと言が大きいようですね。
「私が何かに迷って一歩踏み出す勇気が必要な時は、何事にも強気な母が背中を押してくれました。でも、決して仲良し親子のようにベタベタしていなくて、適度な距離があります。『親として子どもをきっちり育てるという意識で私に接していた』と聞いたことがあります。モデル活動などでとても忙しかった20代は、母の存在をうるさく感じたこともありましたが、年を重ねると自分の中に母と似てる強気な部分を発見することが増えました。面白いですね。今の関係がとても心地よいです」
[日本経済新聞夕刊2017年2月7日付]
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