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樋口広太郎(9)アサヒ、「一番しぼり」取り逃す

積極経営には賛否も

失敗と躍進 「一番しぼり」取り逃す 財テクでは一部損失も

1987年3月に発売した「スーパードライ」の販売目標は当初、年間100万箱(1箱大ビン20本)でした。ところが実際には、発売後2カ月でいきなり140万箱も売れ、その年の販売がなんと1350万箱を超えました。驚くべきことに、翌年もさらに7割増を記録して、シェアは13%から21%に跳ね上がりました。その結果、業界3位からキリンビールに次ぐ2位に躍進することができたのです。

しかしフル操業しても生産がとても追いつきません。売れない悩みから、今度は一転して品不足に悩まされ、新聞にも、お客様へのお詫びの広告を出しました。また、「社員はスーパードライを飲むな」と禁止令を出しました。とにかく一般のお客様に最優先で回す方針だったのです。

しかし、失敗もありました。住友商事系の吉原製油の副社長がある時、「樋口さん、うちの『一番しぼり』という油が、ネーミングがいいので売れています。この名前をビールにも使ってみませんか」と言ってくれたのです。私も面白いと思って、やろうかなあと心が動いたのですが、何しろ「スーパードライ」の生産が間に合わない状態の時でした。技術者は「ビールは搾るものではなくて、圧すものだ」と言っていました。「一番圧し」というのでは格好悪い。

そんなこんなで時期尚早かなと思っているうちに、キリンビールさんが「一番搾り」を出したのです。しまったと思いましたが、後の祭り。「運」を逃す時というのはこんなものですね。キリンさんは「一番搾り」で踏ん張りました。あれがなければ、アサヒが業界トップになるのはもっと早かったと思います。

私は社長在任中の6年半に、累計6000億円の設備投資をやりました。それまで資金的に苦しかったこともあって年間70億から80億円しか設備投資をしなかったのが、この変わりようですから、「アサヒはどうなってるんだ?」と周りを大いに驚かせました。広告も思い切って増やしました。

幸運だったのは、80年代後半は転換社債や外債などで低利の資金を調達できたことです。こうして5000億円近い資金を集めて運用に回し、いわゆる財テクで利益を上げられました。これを設備投資や広告宣伝費に回せたおかげで、「スーパードライ」によって生じた波を逃すことなく、目もくらむようなピッチで拡大を遂げ、アサヒビールは面目を一新できたのです。

ハーバード・ビジネススクールの教授たちと(1989年5月)

私の積極経営については、賛否両論があると思います。これについては印象深い思い出があります。1989年、私は米国のハーバード・ビジネススクールに招かれて、特別講義をする機会がありました。対象は、学生と言っても企業の幹部が多く、受講生は全部で100人近くいました。びっくりしたのは、「スーパードライ」のヒットをバネに展開した積極経営に対して、みんなが口をそろえて反対したことです。「そういう経営はやりすぎだ」「元銀行家とは思えない」などの意見が相次ぎました。

彼らの意見に対して、私は「チャンスは預金できない」と、持論を説明しました。チャンスというものは、出会った時に果敢に挑戦しなければ生かせません。いまは準備が整っていないから、またの機会にしようと見送ったら最後、いつまたチャンスが巡ってくるかわかりません。ですから、まず逃さずタックルすることです。慎重に考えるのはそれからでいい。

しかし受講生たちには、なかなか理解してもらえません。しかも、驚いたことに、とりわけ私の積極経営を強く批判していたのは、ハーバードに留学していた邦銀の幹部たちでした。ところが、日本に戻ってきたら、みんな「借りてくれ」と頼みにきたので、また驚きました。ビジネススクールでの話と全く違う対応ですからね。

私は全国のゴルフ場の会員権も積極的に買わせました。営業上、必要だったからです。それまでは貧乏だった時代に一つ残らず売り払ってしまったため、アサヒが取引できたゴルフ場は住友銀行系の4つだけでした。いまではゴルフ場向けのビールでは5割以上のシェアを握り、断トツです。キリンビールも会員権をたくさん持っていますが、昔の安い時に買っています。アサヒは高くなってから買っていますから、その後の値下がりで20億円ぐらい損をしています。これは営業を伸ばすためのコストと思うしかありません。

資金運用は、当初こそ大幅な利益を生んで収益に寄与し、設備投資や広告宣伝費を支えましたが、バブルがはじけて元の木阿弥になりました。後処理を3年ほど前に完了しました。バブルがはじけるのがもう少し後だったら、利益をそのままに借金を全部返済できたのですが、そうはうまくいきませんでした。

不良資産の発生やゴルフ会員権の損は、そこに至るまでに大いにメリットがあったのですから、それによる利益と差し引きすれば明らかにプラスでした。しかし、海外事業を広げようと思ってやった、オーストラリアのフォスターズ社への投資は失敗でした。

この会社はオーストラリアで最大クラスの企業の一つで、東南アジアに強く、英国にも工場を持っていました。英国最大のパブのチェーンも経営していました。うちとしてはフォスターズ社を通じて、海外市場での地歩を固めたいという野心がありました。しかし、オーストラリアと英国の政府間の対立から、フォスターズ社は英国政府によってパブを分離させられて大きな損失を出し、株価が暴落したんです。最初は株式を買い増して完全な子会社にするつもりでしたが、結局、かなりの損を出して株を手放さざるを得ませんでした。ビールの最大の販売先だったパブを分離したので、買い手がなかなか現れなかったためです。

もっとも、フォスターズ社傘下のビール会社を通じて、ヨーロッパに「スーパードライ」の販路を拡大することができました。同社の株価はいまではかなり上がっていて、手放したのは早まったかなと思うこともありますが、早期の処置が会社の発展を一段と確かにしたと思っています。損切りの考え方ですが、海外事業開拓のための授業料を払わされましたね。謙虚に反省すれば、情報不足だった面がありました。

 この連載は、2001年1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および新聞連載に加筆して出版された本「樋口廣太郎 わが経営と人生 ―私の履歴書―」を再掲したものです。2013年、日経Bizアカデミーで公開した記事を再構成しました。

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